わたしのヒストリー

渡英の頃② -人生の棚おろし⑫-

 前回の記事、「渡英の頃⓵-人生の棚おろし⑾」では、ロンドンに渡った時の話を書きました。

 今回は、ロンドンとバルセロナにいた頃にあった出来事について書いていきます。

 ロンドンは家賃と交通費の高いところだったので、バイトして稼ぐお金はほとんどすべて家賃と交通費に消えていきました。貯金でまとめて購入しておいたトラベラーズチェックを現金化し、口座を作って少しずつ切りくずしていくような生活でしたが、楽しいことが多かったように思います。

 最初に通っていた語学学校の先生が気づいたら彼氏となっていて、いろいろなことを教えてもらったのですが、中でもケンブリッジの英語認定試験であるファーストサーティフィケイトというものを受験し、合格したことは自信になりました。その一つ上のアドバンスというコースは、チャレンジしたけど落ちてしまいましたが、語学学校ではそのさらに上のトップクラスに入り、何とかくらいついていたのを覚えています。そのころの経験があったからこそ、多少錆ついていますが英語がわかり、日常会話だったら可能なまでになっているのだと思うと、思い切って渡英して語学を勉強したあの頃の自分に感謝です。

 勉強とアルバイトの両立は結構大変で、午前中は日本人向けのクリニックで外来業務をこなし、午後から語学学校に行き、帰ってきたらシャワーを浴びて支度をして夜からの日本料理店でのウエイトレスのアルバイトに向かって、23時ごろまで働くという日々でした。バイトは楽しかったし仲間も増えたので、嫌なことは一つもありませんでした。特にウエイトレスのバイトは和服を着て行うこともあり、簡易着物ではありましたが着付けを覚えることができたのはよかったですし、いろいろな国のスタッフが集まっていて、仕事が終わったらみんなで出かけてパブで飲んだりクラブで踊ったり、本当に楽しく過ごしたものでした。

 クリニックは日本人向けだったので、日本人のスタッフがほとんどで息抜きができたのも良かったのだと思います。やはりいくら英語に慣れてきているといっても、話すときは日本語よりはパワーを使うものですから、気負わず日本語だけでコミュニケーションが取れる場があるというのが魅力でした。そこでもいろいろな人々と出会い、バーベキューパーティに呼んでもらったりと充実した毎日を過ごすことができました。

 彼氏がバルセロナに渡って半年間語学学校で英語を教える機会があるというので、それに便乗してスペインに渡ったこともありました。

 スペインにいる間は本当にお金がなかったので、日本語学校の先生をしたりベビーシッターや家庭教師などをしながら、シェアハウスに居候してお金を節約していました。そんな中でも楽しみがあり、毎週末になると「黒い羊」という意味の若者がたくさん集まるバーに通って、朝まで飲んだり踊ったりしたのもいい思い出です。なじみのお客さんや店員さんもできて、スペイン語を勉強してコミュニケーションが取れるようになりました。半年間の滞在だったので、言葉を覚えた頃にはロンドンに戻ることになりましたが、毎日が晴天の美しい街で過ごしたこの期間は、私にとっては本当にいい思い出です。

 バルセロナにいる間に経験したことのうち自慢できることは、FCバルセロナの試合があるごとに、地元のスタジアムである「カム・ノウ(日本では『カンプ・ノウ』と表現される」に行き、熱心に応援していたことでしょうか。友人が年パスを持っていたので、それを仲間内でこっそり使いまわして入場するという裏技を使って、タダで観たことも何度かありました。あの年はFCバルセロナが強かったので応援しがいがありましたし、ワールドカップも開催されたので、現地に行けない時はバーなどに集まってよくテレビ観戦したものです。

 一度お金がなくなったため帰国して、もとの病院で半年間育児代替で働いて再び渡英したということもありましたが、合計で約3年ほどヨーロッパで過ごした経験は、かけがえのないものといえます。渡英を決めた時、いろいろなものを背負っていて息苦しくなっていた状態だったので、ロンドンに行くという考えはすんなりと自分の中に入ってきましたし、ほとんど戸惑いはありませんでした。まさに「魂の声」に耳を傾け、素直に従ったことが私の人生の転機になったと思います。

 すべてを投げ捨てて行くことを決心したのは勇気がいったことではないかと思われることが多いのですが、実はそう気合いを入れて決意したわけではなかったのです。本当に、行くんだと決めたらそのように道が整い、お金が少なくてもなんとか生きていけるようになっていったので、まさに「なるようになる」という感覚でした。

 心の声を聴いて素直に従うことは、とても大切なことなのだと今では思います。

 さて、今回はここまで。次回、「帰国して受けた逆カルチャーショック -人生の棚おろし⒀-」では、帰国してから半年くらいの間に感じたカルチャーショックと、新しい就職先について書いています。

 本日も最後までお読みくださり、ありがとうございました(^_^)

ピックアップ記事

  1. 好きなものは堂々と好きと言おう

関連記事

  1. わたしのヒストリー

    看護師になった理由は「母からのすすめ」 ー人生の棚おろし①—

     仕事が辛くて仕方ない時でも、「仕事なんだから辛いのは当たり前」「辛…

  2. わたしのヒストリー

    帰国して受けた逆カルチャーショック -人生の棚おろし⑬-

     前回、「渡英の頃⓶-人生の棚おろし⑿-」では、ロンドン・バルセロナ…

  3. わたしのヒストリー

    病気がちだった16歳までー人生の棚おろし②—

     前回、看護師になった理由は「母からのすすめ」では、 看護師になっ…

  4. わたしのヒストリー

    独立しようと決意したときのこと —人生の棚おろし㉟—

     前回、「人生最大の逆風 ―人生の棚おろし㉞—」では、長年信頼してい…

  5. わたしのヒストリー

    女手一つで家を建てる -人生の棚おろし㉗-

     前回、「娘を託児所に預けて -人生の棚おろし㉖-」では、復職した先…

  6. わたしのヒストリー

    パワハラを乗り越えたこと -人生の棚おろし㉔-

     前回、「復職のころ -人生の棚おろし㉓-」では、娘が1歳になり復職…

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

最近の記事

  1. わたしのヒストリー

    娘が歩き出すまで -人生の棚おろし㉒-
  2. スピリチュアルなおはなし

    自己肯定感の低い部下の話
  3. スピリチュアルなおはなし

    お手軽でめっちゃ気持ちいい!プチ健康法『アーシング』とは?
  4. スピリチュアルなおはなし

    現代人は時間の奴隷
  5. スピリチュアルなおはなし

    卒業という名の人生の節目において決断すべきこと
PAGE TOP