前回、「人生最大の逆風(1)—人生の棚おろし㉛—」では、看護部長となった2年目に強烈な逆風が吹き始めたときのことを書きました。
今回はその続きです。
私の看護師人生の中で、繰り返しお世話になっていたTさんに恩返しをするために、私は新規事業の部門長としてTさんを推薦しました。
Tさんの良いところも悪いところもよく知っていた私は、なんとなくこの決断がよかったのかどうかと感じていたのですが、Tさんが入職してしばらくしてから、訪問看護部門のトップとしてTさんの友人を招いたころから、徐々に雲行きが怪しくなります。
私はノウハウは身についていましたが、看護部長としてはまだ2年目の駆け出しです。一方でTさんとその友人は、すでに定年を越えており百戦錬磨の方々です。
特にTさんは、中小規模の病院を1~2年ごとに渡り歩き、その都度そこで政治的な動きをしてきた人でした。
私はそのTさんの動きに、文字通り翻弄されることとなるのです。
仕事のペースを乱されるのは日常茶飯事でしたが、加えて看護部長である私に黙って看護師たちにひそかに接触し、自分の考えを話して先に丸め込んでおくということをしていて、正式な情報として私のもとに上がってくる頃には、すでにスタッフから「T部長から聞きました」と言われてしまう始末でした。しかもそれが決定事項として動かないことならまだしも、毎日コロコロと方向性が変わり、私も現場も振り回されました。
少しずつ自分の思い通りに現場を動かしていくTさんでしたが、私はそれでも恩人だという思いがあったため、Tさんを警戒することができません。Tさんは私に、やれ〇〇さんがあなたのこんな悪口を言っていたから信用するなだの、やれ●●先生がこんなうわさ話を流していただのと、私がショックを受けるようなことを吹き込みにくるので、私はどんどん落ち込んでいき、精神的に追い詰められていくこととなります。
そしてある時、私は朝早くから病院の近くのカフェに呼び出され、いかに経営層が私を追い出したがっているかという話を聞かされました。出勤時間になってもTさんは放してくれません。遅刻していけばいいと私を説得し、結局2時間以上拘束され病院への不信感を植え付けられることとなります。
結局その時はTさんとともに遅れて出勤し、経営層の職員と面談をしましたが、前向きな話をすることができませんでした。経営層には何度か自分の考えや方向性を話していましたが、その数ヶ月間はほとんど受け入れてもらえず平行線だったために、すでにその時点で私の気持ちは折れてしまっていたようです。
11月下旬のことでした。予定通りにいかず横やりばかりで、退職を希望してきた師長もいました。誰に何を吹き込まれたのか、それまで私の方針についてきてくれたある師長が、急に反旗を翻しもしました。新規事業にスタッフを割き、そのことが原因で統制がとれなくなった部署もありました。Tさんに目の敵にされ無視されて、辛い思いをしていた主任もいます。どうしてこんな風に看護部がバラバラになってしまったのか、その時はただ頭をかかえ、なんとか前に進めることしか考えられなかったのですが、今思うとすべてTさんが仕組んだことだったのだと考えれば、とても腑に落ちます。
そしてその頃から、私は退職を真剣に考え始めます。しかし、根が真面目なものですから、3年間はここでやりとげたいと思いましたし、看護部門としての事業計画もありましたから、中途半端に投げ出すことはできないと考えていました。今この逆風を乗り越えた先に自分の成長が待っているのだろうと思い、とにかく辛くても進むしかないと、そのためにTさんに頼ってしまっていたのです。今思うとそれもTさんにとっては思うつぼだったのだろうと思います。
毎日苦しく、仕事に行くのが苦痛で仕方ありませんでしたが、なんとか片道1時間半の道程を必死で通っていました。ただその頃はすでに、誰を信じていいのかわからず、かなり精神的に追い詰められていたのだと思います。年が明け、もう限界と感じるようになって、私は院長に3月いっぱいでの退職を申し出ます。
部長職は本来3カ月前に退職を申し出ないといけないルールとなっていましたが、気持ちが続かないことを理由に受け入れていただくことができました。3月までならなんとか頑張れると、切り替えて毎日を過ごしていこうと思っていた矢先に、次の事件が起きたのです。
次回、「人生最大の逆風(3)—人生の棚おろし㉝—」に続きます。
最後までお読みくださり、ありがとうございました(^^)
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