わたしのヒストリー

人生最大の逆風(4) —人生の棚おろし㉞—

 前回、「人生最大の逆風(3)—人生の棚おろし㉝—」では、休職中に起きた出来事について書きました。

 今回はその続きです。

 信頼していたT部長が、私の執務室であった看護部長室を私に何の断りもなく移動させてしまったことにショックを受け、私物をどうしたのか、私はまだ退職したわけではなく在籍中であるのにという旨のメッセージを送ったところ、それまで味方だと信じていたT部長が豹変することとなります。

 私の権利を否定するような内容のメッセージが返ってきたのです。

 私が休んでいる間も病院は動いている、みんな忙しい中やっているんだと、私が病欠していることを責めるようにも取れる内容でした。T部長に勧められるまま受診し、指示通り診断書を取って送ってあったのに、です。

 その時、T部長を招き入れた時から感じていた悪い予感が現実になったことに気づきました。私はいつか追い出されるのだろう。そううすうす感じていたことが、ついに現実化したわけです。

 周囲から聞いた悪い噂を毎日のように吹き込み、私を精神的に追い詰め退職届を出させた挙句、さらに診断書を出させ退職期日より早く不在になるという状況を作り、その隙に看護部長室を許可なく引き払い居場所をなくすという、非常に鮮やかな手口でした。

 今考えると、お見事と感心してしまうくらいですが、それに気づいたときは精神的に不安定で薬を飲んでいた時期でしたので、相当ショックでしたし、怒りが強く湧いてきてしまったのを覚えています。

 結局、退職の手続きに病院に行った日には病院上層部は誰もおらず、T部長の見送りもありませんでした。申し合わせたように皆不在だったので、それほど疎まれるようなことをしたのかと悲しくなりもしましたが、逆に気持ちが楽だと切り替えて、持参した手土産を各所に配って、荷物の整理をして帰宅しました。

 退職の手続きが終わりほっとした一方で、休職していた期間の給与を保証してくれるというT部長の口約束は果たさせず、ひと月分が無給となっている状況に少し困っていました。休職していた事実と、T部長が言ったことを鵜呑みにした自分にも非があると感じたため、その月は傷病手当を申請することとして、事務の担当者に書類をお送りいただくようお願いしてその場を去りました。

 通っていたメンタルクリニックに依頼して傷病手当の申請書類を作成し、病院あてに送ったところ、またしてもT部長からの怒りのメッセージが届くこととなります。傷病手当は病院が支払うものではないのに、私が休んでいたことを快く思っていなかった経営層が色々と難癖をつけたようです。それを踏まえ、自分が給与を保証してくれると言ったことも忘れ、傷病手当を受けるという当然の権利を主張した私を責め始めたのですから、本当にびっくりしました。

 ただ、一刻も早く関わるのをやめたかった私は、傷病手当を受けず泣き寝入りすることにしたのです。もう争うのは嫌でしたし、新しい人生に向かって前向きに生きていきいという気持ちが強かったのです。ひと月分の給与が入らないのは打撃でしたが、それよりも諍いに巻き込まれて気持ちが不安定になるのはもう懲り懲りだと強く思ったのです。

 この一連の出来事で、私は色々なことを学びました。昨日の敵は今日の友という言葉がありますが、その逆も真なりで、長年信頼していた人がいとも簡単に攻撃してくることがあるんだと、それはもしかしたら私が気づかなかっただけで、ずっと騙されていただけだったのかもしれないなどと、いろいろな気づきがありました。もちろん、その出来事の渦中にいた時には、そんな風に考えることはできませんでしたし、本当に辛かったです。ですが、私の人生において、重要な位置を占めていたT部長との決裂は、私にそういうことを身をもって経験させてくれる出来事になったのだと思うと、感謝の気持ちすら湧いてくるようになったのです。

 その職場を離れたのはつい2カ月ほど前のことですので、今でもふと思い出した時などに心臓の鼓動が早くなってしまい落ちつかなくなったりすることがありますが、目を閉じて深呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着けることで乗り越えることができています。眠剤を飲まなければ眠れないような心理状態が続きいていたのに、今では薬も一切飲んでいません。私の場合、朝晩10分間の瞑想が心の安定を助けてくれているようです。

 瞑想については、またの機会に書きたいと思います。

 さて、次回「独立しようと決意したときのこと―人生の棚おろし㉟—」では、私がフリーランスとして独立する決意を持つに至った経緯についてお話しします。

 本日も最後までお読みくださり、ありがとうございました(^^)

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