一般に、正しいことは正義であると考えられています。
世間の常識として考えられていることから外れると、それは誤りとなり、間違ったことであると判断され、その行動や考え方を批判されてしまいます。
私は子供のころから正義感が強く、「こうあるべき」という考えも人一倍強かったのですが、通知表には「一本気で真面目すぎる傾向がある」と書かれるなど、先生からの評価が低かったことがわかります(笑)。
掃除の時間は全員で掃除を真面目にきっちりやらなければならないので、やらない奴は駄目な奴だと断罪していましたし、授業中に騒ぐなどもってのほかだと、騒いでいる同級生を冷ややかな目で見ていました。
試験前に勉強をしないなんて考えられないし、人からサボった授業のノートを借りるなんて言語道断、ありえないと嫌悪していました。
正義感が強いというのは悪いことではないと当時の私は思っていたので、真面目であることを先生に評価されないのはどうしてだろうと非常に疑問に思った覚えがあります。
社会人になってからは多少その傾向は和らいだものの、やはり「こうあるべき」という考えが消えることはありませんでした。
人間はそれまでの経験の中から培ったビリーフ=観念を、潜在意識の中に蓄積していきます。それがその人の行動規範となるわけです。
ですから、大人になったからといって簡単にその考え方や行動が変わるわけではありません。
しかも、自分が正しいと思っていることに関しては、とことん追求していく傾向にあります。
私は社会人になり、看護師として働き始めた頃にお世話になった師長に、看護師としての基本的なことや社会人としてのあるべき姿などを厳しく叩きこまれました。そのおかげで今の自分がわるわけですが、その「あるべき姿」があまりにも四角四面だったのだろうなと思います。
加えて認定看護管理者を取得する過程の学習の中からも、組織をマネジメントするにはどうするべきかということや、医療安全管理者という仕事を通して、危険を回避するための考え方などを培ってきたので、まさに「こうあるべき」という考え方がどんどん積み重なっていったように思います。
仕事という、給料分の成果を出すことが求められる世界の中で、とても給料分の仕事をしようとしていない(能力的なことではなく、そういった姿勢が見られないという意味)人を見ると、怒りを通り越して気の毒に思えてしまうこともありました。
だから、こうあるべきだという姿を教えてあげようとするわけですが、そうすると大抵は嫌われてしまうんですね(^^;
あなたの考え、やり方は間違っている、だからこうしたらいい。
こうすべきだ。
そんな風に指摘されたら、たとえそれが正論であり理解できたとしても、自分が間違っているとあからさまに指摘されることで、自尊心が傷つくわけです。
今になってみればよくわかる理屈ですが、ほんの数年前まで私はそれに気づくことができなかったんですね。
間違っていることがわかっていても正しいことができなかったり、誰かができることでも自分ができないことにコンプレックスを感じていたり、そんな人たちは世の中にごまんといて、自分でも後ろめたさを感じている。
正論は時に刃となり、そういう人たちの心に突き刺さるということ。
それで気づいてくれる人も中にはいると思いますが、ほとんどの人は自分防衛本能が働くため、傷つけられた対象に対して攻撃するという行動に転じるわけです。
手負いの小動物みたいなものです。
噛みつかれたら、思いのほか大きなダメージを受けることになってしまいます。
なので、自分が傷つきたくなかったら、正論を振りかざそうとしないことです。
正論は振りかざさず、提示する程度にとどめます。
振りかざすと相手に刺さってしまうので、そっと目の前に差し出すわけです。
相手がそれを目にして、無視するのかそれとも受け入れるのか、判断を委ねます。
もし相手が受け入れてくれたら嬉しいし、無視したとしても自分には大きな影響は及びません。
相手が同僚でも、友人でも、家族でも、考え方は同じです。
相手の波動も自分の波動も下げないように心がけたいものですね。
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