前回、「看護の道を歩き始めた頃」では、受験に失敗しながらもしかるべき医療系短大に入学し、学びへのモチベーションが上がらないながらも友人たちとの出会いに感謝していたというようなことについて書きました。
今回の記事では、軽音楽部に所属していた頃のことについて書きたいと思います。
医療系短大だったので、ほとんどの学科が3年制で、一部のみ2年制でした。どの学科に所属していても共通の部活や同好会などに参加することができ、私は入学当時はどこにも所属していなかったものの、同じクラスの友人が所属している軽音楽部でバンドメンバーが足りないとのことで、誘われて入部しました。
ハードロックのコピーバンドをやっていてボーカルが足りないからやってほしい、そんなことを言われましたが、それまでの人生で本格的に歌った経験もなく、ましてやハードロックなどほとんど縁がなかったので(洋楽や邦楽のニューミュージック系などは高校の時からよく聴いてはいました)かなり戸惑いましたが、洋楽が好きということだけで白羽の矢が立ってしまい、最初は半ば無理やりバンドの練習に引っ張って行かれたのを覚えています。
バンドメンバーは女子ばかりで、みなフレンドリーだったので嫌な感じはしなかったのですが、なにせやっている曲がゴリゴリのヘビーメタル・ハードロック系。
そちら方面に免疫がなかったので、自分にそういう曲が歌えるのかと戸惑いましたが、友人やバンドメンバーの強い誘いがあって、強制的に入部。気づいたら歌っていたというような感じでした。
歌うことは嫌いではなかったし、洋楽をよく聴いていたため英語の発音などにも自信があったので、戸惑いは徐々に薄れ楽しめるようになっていきました。
友人が次から次へと貸してくれるハードロック系のカセットテープ(当時はレコードのLP盤をカセットテープに録音してウォークマンで聴いていたんですよ。懐かしい!)を聴いて、いろいろなバンドを好きになり来日公演にも足しげく通うようになったのもこの頃です。
年に数回学内で開かれる部のライブのために練習し、近くの大学と共同でホールを借り切ってライブを行ったりと、充実した部活生活を送ることができたように思います。この活動を通して学内以外にも友人ができたし、他のバンドメンバーらと飲みに行ったりして、とても楽しかったことを覚えています。
3年間の短大生活は、ほとんどバンド活動に捧げられていたといってもいいくらいです。最初はコピーバンドでしたが、徐々に既存の曲をアレンジしたり、
オリジナルを作ったりするようになりました。
実はこのバンド活動、短大を卒業し社会人になっても続くことになります。
わりと真剣に練習していて、地元のライブハウスでライブをやったりと、プロを目指すまではいかないけれど、そこそこいい線行っていたと思います。
一方、学業の方はというと、本当に不真面目な看護学生でした。同じバンドでベースを弾いていた友人といつも隣に座っていたのですが、友人は机に突っ伏して寝ていて私はふんぞり返ったり別のことを熱心にやっていたりして、先生方から見たらとても目立つ2人組だったものだと卒業間近に聞きました。とにかく勉強はノートを取るくらいで、それ以外は歌詞や小説を書いていたり、友人は好きなバンドのイラストを描いていたりして、ちゃんと勉強するのは試験の前のみという有り様でした。
1年生の途中から実習が入ってくるのですが、実習はさすがにちゃんと受けていましたね。ただ、課題をこなすのはとても苦痛でした。今でも看護学生は大量の課題と戦う実習中を過ごしていますが、これがものすごいプレッシャーなのです。もう少し何とかならないものかと、今になっても思います。
そんな不真面目で楽しかった学生生活も長くは続きません。看護師国家試験の受験というトピックスを越えて、いよいよ社会に出ることとなります。
最初の就職先は県立のがんセンターと決めたのですが、次回、「看護師としてのスタート -人生の棚おろし⓼-」では、その時のことについて書いています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました(^_^)
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