わたしのヒストリー

パワハラを乗り越えたこと -人生の棚おろし㉔-

 前回、「復職のころ -人生の棚おろし㉓-」では、娘が1歳になり復職を考えはじめた時のことを書きました。

 今回は、新しい職場での仕事について書いていきます。

 この職場は病床規模がちょうどよく、大きすぎず小さすぎない、職員の顔がよく見える組織でした。

 あまり小さな組織だと人間関係がぎすぎすしてしまったり、人の見たくない部分まで見えてしまったりするものですし、組織が大きすぎても、今度は他部署の人のことがよくわからないという感じになってしまいます。

 私の仕事が、医療安全・呼吸療法・摂食機能療法という3つの役割を同時進行でやっていくというものだったので、すべてのセクションにまたがって行うということもあったかもしれませんが、いずれにしてもちょうどいい規模感の組織で、そういった意味では働きやすかったと思います。

 当時はまだ医療安全対策が日本の病院に浸透しきる前でしたので、医療安全管理上の組織を組み立て、職員の意識を変え、道程を整備するということから始めました。

 看護師長として看護部に所属し、それらの仕事を同時進行で行っており、管理職は初めての経験でしたが、新鮮で楽しいものでした。

 仕事について情報を集め、学び、方法論を構築し、それを順番に実施して実現していくというやり方が、理論派の自分に合っていたのだろうと思います。

 周囲の環境も自分の活動を応援してくれるような雰囲気でしたので、非常に仕事もやりやすかったのを覚えています。

 医療安全は人のエラーについて考え対策を練る仕事ですが、最初の3年くらいはただ夢中で面白みを感じてやっていました。ただ、やはり人のエラーについて考えてばかりいると、心が疲れてくるものです。

 途中から入職してきた経験者の他セクションのスタッフに、4年目からこの仕事をお願いすることにはなりましたが、それまでに土台を築き、骨組みを構築し、次に渡すことができたことは、自分の実績として自信に繋がりました。

 また、呼吸療法や摂食機能療法も、組織の中に前例がない中で築き上げてきたものでしたので、結果が目に見えてわかるようになると楽しくなってきたのを覚えています。

 特に人工呼吸器を使用している患者さんのウィーニングといって、呼吸器から離脱するプロセスを一部の医師から任せていただいたことは大きな糧になったと思います。もう人工呼吸器が外せないと思われていた患者さんが呼吸器を外し、口からものを食べ、話すことができるまでになった時は嬉しかったですし、法人内の症例発表会で報告させてもらったのはいい経験となりました。

 しかし、その病院で仕事を始めて2年が経ったころ、ある試練が訪れることとなります。

 看護部長が交代し、個性の強い女性の看護部長が外部から着任したことがきっかけで、私の仕事に大きな影が落ちることとなります。

 その部長は外見も個性的でしたが、とにかく感情を表に出す人でした。

 看護部の中では早くからその部長の言動の奇異性に気づいていたのですが、それが一般職員にまで知れるようになるには、そして法人の上層部が気づくようになるには、約1年の月日を費やしました。

 私はその部長のターゲットとなり、パワハラを受けることとなったのです。

 医療安全の仕事は独立したものでしたから、看護部内に所属しているといっても自由裁量で行うことができていましたし、医療安全管理組織は院長の直属のものであったため、看護部長の決済を仰がなくても行っていい状態になっていましたが、その看護部長にはそれが理解できなかったようです。

 とにかく権力意識が強く、「自分が」看護部長であるということをひけらかしたがる人でしたので、私のように自分でどんどん仕事を進めていくタイプは嫌いだったのだと思います。何かにつけて、私の人格まで否定するような言葉をかけてきたり、あからさまに態度に表し、書類を机の上にたたきつけて大きな音を出すなどして威嚇するなど、おおよそ看護部長のポストにある人間がするべきでないことをしていました。私は父親の影響か、大きな物音や怒りの波動が本当に苦手でしたし、その部長の顔を見るのが怖いと思うようになったのと、日々繰り返されるパワハラに身も心もすり減ってしまったのです。でも、周囲に私を理解してくれる仲間がいましたので、その仲間とともに繰り返し法人本部に看護部長の所業を訴えました。

 最初は看護部長の言うこと(自分の部下である私や私の仲間の悪口を書き、それを毎日のように法人本部に報告に行っていました)を信じていた本部も、やがてその行動の奇異性に気づくようになり、最終的にその看護部長は1年3カ月で退職することとなります。

 一口に1年3カ月というと短いように感じますが、日々パワハラを受けてきた私としては本当に長く、辛い期間でした。ただ、その時その人に出会ったことはその後の私の人生に確実に糧になったということができます。世の中にはこういう人もいるんだと、精神的に病のようなものを抱えながら、組織を正しい方法でコントロールすることができない人が組織のトップになってしまうこともあるのだと、そういう学びを得ることができました。また、こういった人に出会ってしまった場合に、どう対処すればいいかも知ることができました。

 娘と二人だけで生活しながらパワハラに耐えるのは結構大変でしたが、今ではこんな風に話すことができる思い出です。

 さて、今回の話はこれまで。

 次回、「看護管理者への道 -人生の棚おろし㉕-」は、その病院で医療安全の次に行った仕事について書いています。

 最後までお読みくださり、ありがとうございました(^^)

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