昔からある日本語って、まず言葉の「音」があって、そこに意味がつき、やがてそれらしい形の漢字が当てはめられるという構造をしていますよね。
同じ「音」を持つけれど違う意味・違う字の言葉が、実は同じ語源から来ているということもよくあります。
例えば「話す」と「放す」。
私達は「話す」ことで気持ちがラクになったり、楽しくなったりしますよね。これは「話す」と同時に自分の中に抱えた何かを「放す」ことをしているからです。
悩みを抱えていて、一人で鬱々と悩んでいる時は解決するどころかどんどん深みにハマってしまいがちですが、誰かに話を聞いてもらうだけで気持ちが晴れて、解決策が見つかるというのはよくあることです。
そんな視点で日本語の成り立ちをみてみるととても興味深いし、昔の人の思いを受け取って背筋を正したい気持ちになることもあります。
一方で、時々ふと「ん?この言葉ってどうしてこんな風に使ってるの?」と思うことがあります。
普段何も考えずに使っているけれど、よくよく考えると不思議だなとか大げさだなとか思うような、ごくごく一般的な言葉。
その一つが、「必死」です。
必死、って・・・・
必ず死ぬ、って・・・・
おかしくありません?
必ず死ぬと言いながら、結構日常的に使っていますよね?
そしてそれにあまり疑問を差し挟むことがない。
人間って当たり前とか慣れとか、ある意味怖いなと思いつつ、最近この言葉の意味が何となくわかるようになってきました。
「必死」っていうのは多分、これができなきゃ必ず死ぬというくらい追い詰められた状況の中で、生きるために死にものぐるいで何かをするっていうときの描写ですよね。
大昔、狩りをして獲物を捕らえ命を繋いでいた頃、今日獲物が仕留められなければ一族郎党全員死んでしまうかも知れないという状況の中で、死にものぐるいで集中して獲物を仕留めていた、そんな「これができなければ必ず死ぬ」という場面なんかを表現したものなんじゃないかなと思うんです。
あるいは、猛獣に追いかけられて死にものぐるいで逃げている時、「ここから逃れられなければ必ず死ぬ」という場面とか。
戦場で敵に囲まれ万事休すの場面で、戦況をひっくり返すために血眼で戦術を練り直している場面とか。
大切な人が瀕死の重傷の時、特効薬の素になる薬草を命の危険を犯して、切り立った崖まで取りに行くとか(もうほとんどファンタジーとかおとぎ話の世界ですが・笑)。
きっとそんな感じ。
昔は今より死というものが日常的にあって、下手をすると命を落とすという場面に直面することが多かったということも、この言葉ができた理由の一つになっているように思いますが、まぁとにかく「これがダメなら死ぬかもしれない」くらいの覚悟で取り組む状態を表す言葉が、この「必死」という言葉なんだろうなぁと思うわけです。
現代の世の中で、何かをしなければすぐに死ぬということはありません。
でも、肉体的な死ではなく、社会的な死だとか、精神的な死だとか、アイデンティティの死だとか、そういう意味の「死」というのは、身近にたくさん転がっています。
もし自分が今これをしなければ、自分自身のアイデンティティが死んでしまう。
もし自分が今これを成し遂げられなければ、自分の社会的信用が死んでしまう。
もし自分が今人生を変える決断をしなければ、未来を生きる自分が死んでしまう。
そんな風に思ったら、時間がないとかお金がないとかやる気がないとか言っていないで、とにかく必死でやり遂げようと思うはずなんですよね。
うん、やっぱりこういう時に、「必死」という言葉が自然と出てきます^^
やらなきゃ死ぬ。だからやるしかない。
やるかやらないかではなく、
やるか、やるか。
違いはその方法と、中身だけなんです。
何かに迷っていたり、イマイチやる気が起きないでいる場合は、ぜひこの考え方を採用してみてくださいね。
必死になれば、きっと人生変わりますから^^
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