あなたは、今の生活に満足していますか?
時間に追われ、生きることに疲れ、先に進む気力も湧いてこない。
そんな状況に陥ってしまってはいませんか?
人の目を気にして、自分の気持ちを抑え込んだり、
自分のやりたいことを封印して、楽しくない毎日を送ったり、
自分以外の人の意向を尊重するあまり、誰のために生きているのか
わからなくなってしまったり。
そんな閉塞感を、感じてはいませんか?
もっと言いたいことをちゃんと言ってみたい!
好きなことを誰にもジャマされずにやってみたい!
自分の人生、こんなはずじゃないのに!
もっと輝ける生き方があるはず・・・!
でも・・・どうしたらいいのかわからない(;▽;)
そんな風に思っているとしたら、今がまさにチャンスの時。
人生の大転換期です!
実は私も、思うように生きられない、
そんな思いを抱えていました。
はじめまして。栢森(かやもり)まことと申します。
私は今ライフコーチとして、私の助けが必要な方々に対するコンサルティングのお仕事をさせていただいています。
その方が一番人生を楽しむことができ、その方らしく輝くことのできる道をご一緒に探して、その道を行くための背中を押すような、そんなお仕事です。
仕方なく選んだ看護師への道
病弱だった子どもの頃、入退院を繰り返したり通院していた時期が長かった私は
いつも優しく接してくれる看護師さんにあこがれていました。
「大きくなったら看護師さんになる」
そんな風に両親に話したこともありました。
やがて成長し、徐々に体も丈夫になってくると、
やがて自分のやりたいことが見つかりました。
それは看護師とは違う職業でした。
でも、母親は私が看護師になることを望みました。
病気のために命を落としかけたこともある私が今生きているのは、
医療に助けられたから。
だからあなたは医療に恩返しをする義務がある
そう諭されました。
私は精一杯抵抗しました。何故なら、
看護師という職業に自分は向かないと感じていたからです。
自分の世話すら覚束ない自分に、人の世話なんてできるわけない。
そう母親に訴えました。
でも、母は私に看護師以外の道に進むことを許しませんでした。
1週間ほど口をきかない冷戦状態が続きましたが、
最終的には私が折れて、看護師になるための短大に進むことになりました。
手に職をつけておけば将来楽だし、喰いっぱぐれることもない。
たとえ結婚しても旦那に何が起きるかわからない。
これからの時代、女も手に職をつけるべきだ。
そう懇願する母親に負けたのです。
看護師の仕事は、ものすごく
過酷だった・・・!
やがて国家試験に合格し、
ある公立病院に就職したのですが、
看護師の仕事は想像以上にハードなものでした。
身体もキツいけど、
それ以上に気持ちがキツかった。
ついていくのがやっとで、毎日が必死でした。
夜遅く帰宅し、食事も摂らず倒れるように眠り、
翌朝は疲れのため起きられず、
遅刻寸前に飛び起きて仕事に行ったこともありました。
その時は、食事も水分もろくに摂っていなかったため
低血糖と脱水で仕事中に患者さんのベッドサイドで倒れてしまい、
気付いたら体重が5キロも減っていた、なんてことも。
就職してから三年目までに、二度も体を壊して入院したり。
今思うと、向いていない仕事を必死でこなしていたために
身体が悲鳴を上げていたのだと思います。
ちょうどその頃、両親が離婚し、
その双方に経済的な援助をしていたことなどもあり、
色々なことが積み重なって耐えられなくなってしまった私は、
ついには仕事を辞めて、
すべてを放り出して、
国外へと逃亡することに・・・・!!
仕事をしていて感じる
「コレジャナイ感」
という名の不充足感
ロンドンとバルセロナで約3年半過ごし、
リフレッシュした私は、
帰国してからもやっぱり、
看護師に戻ってしまいます。
看護師以外の仕事で稼ぐすべを知らなかったので、
そもそも、
それ以外の選択肢は思い浮かびませんでした。
ですが、ずっと「コレジャナイ感」を感じ続けていました。
仕事はできるようになった。できるようになれば楽しい。
楽しいけれど、必ずいつもどこかで行き詰まりを感じていたのです。
「これじゃない。私のやりたいことは
もっと他にあるはず・・・」
そう考えて、その感覚を埋めるために、
キャリアアップのための学びを続けました。
常に学んでいないと不安になって、
一つ終わるとまたすぐ次の学びを始めました。
言うなれば、中毒のような状態になっていたのだと、
今になって思います。
いつも「これじゃない」と思い、
何かを渇望していた私は
学んでいるときだけは
気持ちが満たされている感じがして、
楽しさを感じることができたのです。
「これじゃない」という感覚は、
看護師という職業そのものに対する
ものだった
そんな感覚を埋めるために学び続けた私は、
看護部長というトップマネジメントの位置にまで
昇りつめました。
やっとここまできた、
そんな風に思いました。
でも、その場所から見る景色は
思ったよりも、いい景色ではありませんでした。
私のやりたかったものはこれなのか。
ここにいてさらに何かを学び、それが今後の糧となるのか。
果たしてこれが、私の目指していた道なのか。
そんな風に感じ始めていた矢先のことです。
心身のバランスを崩し休職、
そして退職へ・・・
小さな病院の看護部長という仕事は、
荒波に揉まれる小舟を操縦するようなものでした。
大きな船ならなんてことないような波にすら、
小さな舟である小規模病院にとっては大きな試練です。
しっかりと計画を立て、コツコツと実現させていく方法で
着実に仕事をするタイプの私は、
今日と明日の方針が180°異なってしまうような
目まぐるしい職場は向いていなかったのです。
波にもまれて振り回され、
しまいには舟の外に放り出されてしまったようでした。
ある朝目が覚めたら、強烈なめまいに襲われ、
ベッドから起き上がることができなくなっていたのです。
シングルマザーとしての
役割負担と仕事のバランス
実は私は、子供が生まれてすぐに離婚を経験し、
乳飲み子を抱えてたった一人で
仕事をしながら生きていかなければならないという
人生を送っていました。
家のローンも自分が抱えていて、
定年を遥かに超えた74歳になるまで
支払い続けなければならない生活です。
なので、とにかく生きるのに必死でした。
子供や自分の将来のことを考え対策するのに精一杯で、
それだけを考えてここまで生きてきました。
自分には看護管理者として
組織で働くしか生きる道しかないと、
それしか見えなくなっていたのです。
そのことがいつしか自分の心身に負担をかける形となり、
めまいという身体症状に現れてしまったのでしょう。
病院を受診したところ、自律神経がやられてしまう、
いわゆる「うつ病」の症状を呈していると診断されました。
逆風が吹き、人生に
疲れていることを知る
そして私は、診断書を取り、
仕事を休むようになりました。
やがてそのまま、看護部長をやめ、
仕事を辞めました。
自分は何のために生きているのか、
自問自答する日々でした。
薬がないと眠れず、
絶えず心臓がドキドキして止まらず、
何をするにも疲れや焦燥感を感じる毎日でした。
そんな苦しみに途方に暮れる中で、
今となってはとても偶然とは思えない
ある出会いがあったのです。
それが、
12ステップライフコーチング
との出会いです。
私を変えた
12ステップライフコーチング
病気になり苦しんでいた私は、
自然とこれまでの人生を振り返り、
内省し自問自答を
繰り返すようになっていました。
その過程で、これまでずっとしっくりこないような、
生きにくさのようなものを感じ続けていたけれど、
それに気づかないまま
ここまで来てしまったことに気づいたのです。
そして、向かないとわかっていた仕事を
ここまで続けてしまったこと、
敢えてそのことから目を背け続けてきたことにも
気づきました。
本当は自由に生きたかった。
なのに組織の中で、
不自由に制限をかけられた状態で仕事をすることを
自らに課してきたことを思い知りました。
もうこれ以上あくせく働くのはごめんだ。
自分らしく生きて、娘のためにも、
楽しく人生を送っていきたい。
でもどうしたらいいかわからない。
他の生き方を知らない。
そんな時、ふとしたことから
12ステップライフコーチングの存在を知り、
スピリチュアルライフコーチ養成講座を受講したのが、
すべての始まりだったのです。
マインドブロックが外れて
目からうろこも落ちた
スピリチュアルライフコーチ養成講座とは、
スピリチュアルな視点から人生の意味について考え、
クライアントに最適な人生の道を探すお手伝いをする仕事です。
その学びの過程で、
12ステップライフコーチングを受けるのですが、
一回のセッションを終えるごとに、
不思議と心が軽くなっていくのがわかりました。
こうでなければならないというこだわりが
人一倍強く、
たくさんのブロックを潜在意識の中に持っていた私は、
セッションを繰り返すたびに自分の中の
「意味のないこだわり」に気づき、
それを外していくことができたのです。
そしてその過程で、
メンタルブロックを持ったまま生きることは、
重い荷物を背負って山道を行くようなもの、
だということを知りました。
まさに私の生きにくさはここにあったのだと、
そんな風に気づくきっかけにもなったのです。
いくつかのブロックが外れるだけで、
物の見方がガラリと変わり、
生きることに希望を見出すことが
できるようになりました。
これまでも学ぶことは好きでしたが、
ライフコーチの学びは心の底から楽しくて、
医療や看護の仕事のための学びとは
全く違う感覚だったのも驚きでした。
人を信じてもいいんだ、頼ってもいいんだ。
魂の声に忠実に生きてもいいんだ。
私は、このままでもいいんだ・・・・・
今まで感じていた生きにくさが嘘のように、
自分に自信を持つことができ
人生に希望が持てるようになった、
まさに劇的な変化が訪れたのです。
12ステップライフコーチングは文字通り、
人格を変えるコーチングだということを実感したわけです。
魂の声に従って生き、
本来の自分の姿を取り戻す
人生も半分以上を過ぎて、
できることも進むべき道も限られていると
そんな風に思い込んでいた私にとって、
何でも好きなことをしていいんだ、
好きに生きていいんだと
そう思うことができるようになったことは、
まさに人生の大逆転でした。
生まれ変わったような劇的な変化に、
この12ステップは本当に価値のあるものだと
確信することになりました。
私の人格を変えたと言ってもいいと思います。
今はもう、これからの自分の人生に、
ワクワクして仕方がありません。
人は誰でもメンタルブロックを
持っている
私たちは育ってきた過程で、
さまざまな人々の影響を受けています。
その影響はすべて潜在意識に詰め込まれ、
知らず知らず私たちを
コントロールしているのです。
それが、メンタルブロックの正体です。
そのブロックが外れない限り、
いつまでも同じ場所に
同じようにとどまり続け、
周囲の環境も、自分自身も、
変わることは決してないのです。
私が変わるきっかけをくれた
12ステップライフコーチングを使って、
かつての私のように絶望し、
打ちひしがれてしまっている人たちの力になりたい
そんな思いから、
ライフコーチとして起業することを決心しました。
誰の中にもあるメンタルブロックを外すお手伝いと
新しい人生を踏み出すための背中を押すこと。
一人では難しくても、伴走する誰かがいることで
きっとその道のりは楽しく、充実したものになるはずです。
一人でも多くの方に、この効果を知って欲しい
そして、思うように人生を生きて欲しいと、
そう願って止みません。
「望めば叶う」を
かたちにするために
本当にやりたいことがあって、
踏ん切りがつかないままなのだとしたら、
ダメ元で一歩を踏み出してみたい。
踏み出してみたら案外上手く行くかもしれないし、
ダメ元なんだからダメだったら戻ればいい。
そんな気持ちで、今を抜け出して、
新たな世界に飛び込もうとしている、
そんな自分の想いを大切にして、
今を生きる人々を応援するのが、
私の人生のセカンドステージです!
趣味などのプライベートなこと。
一児の母でシングル家庭を切り盛りする、野球観戦と観劇が大好きなアラフィフです。
血液型はA型で、きっちり几帳面かと思いきや、一方で適当でズボラな部分もあります(父親がO型なので、O型の強いAO型なのではないかと推察w)
なので、時々とんでもないポカをやらかしてしまい、中2の娘に呆れられながらサポートしてもらっております・・・w
主に看護師向けのメンタルサポートや、研修講師、医療系ライティングなども手掛けています。
さらにサイキックリーダーとして、全米No.1サイキックを2年連続で受賞した、ロックガール®に師事して活動しています。
詳しくはセッションメニューのページを御覧ください^^
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