前回、「人生最大の逆風 ―人生の棚おろし㉞—」では、長年信頼していた恩人に職場を追い出されてしまい、失意のどん底に陥った時のことを書きました。
今回は、そんな経験を経て私がたどり着いた人生の方向性についてのお話です。
以前の投稿「芝居との別れ -人生の棚おろし⑤—」でも書きましたが、私が看護師になったのは自分の意思ではなく、母からのすすめでした。自分が熱意を持って選択した自分の人生の道ではなかったわけです。
大学受験に失敗したり、就職してから厳しい世界だということを実感してくじけそうになったりしましたが、それが自分の魂の声に逆らう生き方だったということに、私はなかなか気づくことができませんでした。
3人きょうだいの一番上として生まれ、小さい頃から貧しかった家を支え、弟たちの面倒を見て家の手伝いをしてきたので、責任感が強く親の承認を得たいという気持ちが強かったのだと思います。自覚はなかったのですが、他者の目が気になり、自分の気持ちよりまず周囲のことを考えてしまうタイプでした。弱音を吐いてはいけない、中途半端にしてはいけないと、そんな思いだけで必死に食らいついてきたのだと思います。
渡英した時も、結婚に伴って引っ越しした時も、何度も仕事を辞めてきましたが、必ず看護師という職業に戻ってきていました。それは他に糧を得るべき仕事を知らなかったからでしたし、資格があり経験があるのであれば、それを生かすのが当然だったので、まったく車線変更をするという考えが頭に浮かんでくることはなかったのです。
できることが増えていくうちに、看護師という仕事のやりがいや楽しさを知るようになってきていましたし、あまり自分自身について深く考える機会もなかったので、そのまま母が決めた道を疑問もなく歩いてきたんだと思います。
私がキャリアアップを志し始めた頃は、純粋に看護の仕事が楽しくなってきたころで、思えばあの頃が一番看護師として脂がのっていた時期だったのかも知れません。
出産後に管理職として復職してからも、やりがいを感じながら働いていました。しかしある時から、徐々に何かが足りないような感じを覚えるようになります。
その頃は自分のキャリアアップのためにこれが必要、あれが必要という風に、新たな道を選び取っているのだと解釈していましたが、今思うとあれは根本的に今いる場所が自分に合っていないと感じていたために、自然と魂が別の道をチョイスしようとしていたのではなかったかと感じます。
常に感じていた「何かが足りない」という感覚。自分のすべき仕事を一段落させ、仕組みを構築し終わると、もう自分のやるべきことはなくなったと感じ、組織を去りたくなる感覚などを繰り返し味わっていました。それはただ単に、自分の新しいものに対する興味や、飽きっぽさが原因なのだと感じていましたが、看護部長として逆風に遭った時に、ふとすべてが腑に落ちた瞬間がありました。
ああ、私は本当はこの仕事、向いていないんだ。
組織にいて、人に気を使いながらトップマネジメントをするなんて、自分にはできないことなんだ。
そもそも看護師という仕事自体が、私に向いていないんだ。
それは晴天の霹靂ともいえる出来事でした。30年近く、表面上は何の疑問も持たずに自分の職業として続けてきて、着実にキャリアアップしてきた看護の仕事が自分に向いていないということに、その時初めて気づいたわけですから、それはもう本当に衝撃的でした。
自分の人生を振り返ってみると、本当にいろいろな壁が立ちふさがっていて、その都度それを乗り越え、お金と時間をかけて自分を磨き、看護師として成長してきたつもりでした。しかし一方で、看護に熱意を持って取り組む同僚たちをみていて、どこか自分とは距離があると感じていたのも確かです。私はこんなに熱意を持てているだろうか、自分のキャリアとしての看護には興味はあるけれど、看護そのものへの興味は果たしてあるのだろうか。そんな風にふと感じる瞬間が、実は何度かあったのです。それに気づきながらも、気付かないふりをして、しっくりこない仕事をしっくりこない感覚で続けてきてしまったことに、その時ようやく気付いたのです。
自分自身と向き合うことの重要性は、休職していたときに強く実感しました。自分は何のために生きているのだろう、何故看護師を続けてきたのか、大学院まで修了したというのに、看護師が向いていないと断定してもいいものだろうか、私は何がしたくて、どんな風に生きたいのだろうか。時間はたっぷりありましたから、毎日神社にお参りして、自分と向き合う日々を過ごしました。
そしてようやく、いわゆる看護師の国家資格を使って組織の中で仕事をする以外の道を選択することを、決心するに至ります。
しかしそれには準備が必要です。準備期間として当初は2年間を想定していました。自分の運気が底であることもわかっていたので、その間じっくり準備をして、次の段階に進むときが来たら一気に羽ばたけるようにと、気持ちが切り替わったのです。
こうして、スピリチュアルライフコーチの卵としての、栢森まことが誕生することとなります。
今回はここまで。
次回、「魂の導きに従って -人生の棚おろし㊱-」では、スピリチュアルライフコーチとの出会いについて書いています。
最後までお読みくださり、ありがとうございました(^^)
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