わたしのヒストリー

落ちこぼれだった高校時代 —人生の棚おろし③—

前回の記事「病気がちだった16歳まで」では、高一の頃までのことを書きました。

 自分の実力ギリギリの高校に、本番に強い体質の私は、どの模試よりもいい点数を取って入試をクリアし入学したのですが、周囲はみんな勉強のできる子たちばかりで、いきなり壁にぶち当たりました。

 教科書に書いてあることが、一度読んだだけではほとんど理解できない!!

 毎日のように予習・復習を念入りにやらないと、もう本当に何が何やらわからないし、授業中に指名されたときに答えられないと困るので、もう本当に必死でついていったのを覚えています。

 ですが一方で、バスケ部と演劇部をかけもちして、勉強以外の部分をめいっぱい楽しもうと思っていました。バスケ部の練習と勉強に忙しかったため、演劇部の方はしばし幽霊部員に。

 時折、演劇部の同級生に部活に来て欲しいと声をかけられましたが、とてもそちらまで手が回らなかったので、愛想笑いでへらへらとやりすごしていました。

 その分バスケは楽しくて、中学生の頃まで運動をしてこなかった私には体力的に結構キツかったのですが、持ち前のガッツでなんとかついていっていました。

 部活の中での居場所もできたし、同期の部員たちとも仲良くなって、いい感じで進んでいくものと思っていた矢先のこと。夏休みの体育館での練習中に、心窩部の強い痛みを感じて練習を途中でリタイアすることになってしまいました。

 初日は休めば治ったので、部活が終わる時間に家に帰ってきて親には内緒にしていたのですが、翌日も同じ症状が出て今度は治まることがなかったので、部活の仲間に家まで送ってきてもらうこととなり、親にバレる事態に。

 子どもの頃に心臓の疾患で死にそうな目に何度か遭っているので、親はとても心配して私を病院に連れて行きました。心電図などの検査をしたところ、突然死のきかっけとなりうる「WPW症候群」の兆候があると診断され、当然のようにバスケは禁止に。

 勉強があまりできず、バスケだけが楽しみであったその頃の私にとって、医師からのバスケ禁止の宣告は、大きな衝撃でした。

 落ち込んで、でも部活の仲間が励ましてくれて、あまり心臓に負担がかからないシュート練習などだけ参加させてもらうことにして、しばらく声出しやマネージャー業務のようなことをさせてもらっていましたが、そのうち同級生の部員たちから、私が筋トレなどのキツい練習を免除されていることについて、不満が出るようになってきたのです。

 彼女らも頭では私の病気についてわかっていたのですが、心情的に認めることができなかったんでしょうね。

 心臓の疾患ですし器質的な問題なので、治ることはないということも彼らには理解できなかったのだと思います。やがて私は「治らないのにバスケ部に居座り続ける図々しい奴」というふうに映り始めたのでしょう。

 そうなればもう、そこに私の居場所はありません。

 冬前にはバスケ部を退部して、それまでとは別人のような学校生活を送ることになります。自分を快く思っていなかったバスケ部のメンバーと顔を合わせたくないと思うようになり、常に学校の廊下をうつむいて歩くようになりました。

 誰にも会いたくなかったし、学校にいくのも面倒で仕方なかった。

 そんな頃、家庭内でも父と母が不仲になり、家も居心地が悪い状態に。

 学校にも居場所がなく、家にも帰って来たくない。そんな毎日が続きました。

 もちろん、そういった心理状態の時に、勉強に身が入るわけがありません。

 成績も輪をかけて下がる一方でした。

 英語のコンポジション(英作文)の点数が悪く、補講になってしまった時、コンポジションを担当していた教師に、「うちの学校にはお前らみたいな落ちこぼれを相手にしているヒマはない」と言われ、「ああ、私落ちこぼれなんだ。学校に迷惑をかけてるんだ」と思うに至ったり。

 もう何をしても上手くいかないことに絶望し、最後まで予習ができなかった授業があった日の朝、もうこの世にいたくなくて、どうしたら逃げられるのか、死ねばいいのか、駅のホームから線路を見下ろし、このまま飛び降りたら楽になれるのかと、引き寄せられるような感覚に魔が差しそうになったこともありました。

 でも、線路に飛び込み自殺をしたら、多くの人に迷惑がかかってしまう。何より両親にJRから高額の損害賠償金が請求されてしまったら困る。そう考えて飛び込み自殺は思いとどまったのです。

 それから毎日のように、どうしたら人に迷惑をかけることなく死ねるのかを考えたものでした。

 どこか人の来ないところで、バスケを一生懸命やって、それで心臓が止まって死ねばいいと、そんな風に考えたこともあります。

 でも、結果的に葬式を出すのにもお金がかかるし、両親にもきょうだいにも迷惑がかかると考え、死ぬこと自体を思いとどまることになります。

 そんなある日、私に生きる楽しみや希望を与えてくれるものが現れました。

 それは、芝居をすることでした。

 次回、芝居に救われた命 -人生の棚おろし⓸-」では、私と演劇との出会いについて書いています。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました(^ー^)

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