前回、落ちこぼれだった高校時代では、勉強もバスケも上手くいかず死にたくなったという話をしました。
家にも学校にも居場所がなかったあの頃は、本当に生きていたくなかった。
でも、ある時学校の廊下で演劇部の友人に声をかけられたことがきっかけで、私は久々に演劇部の練習に顔を出すことになります。
演劇部の部員が増えたんだ、男の子も3人入ってくれたんだという話から、一度練習を覗いてみようと思ったことがきっかけです。
進学校だったので、運動部の練習は週に3回までと決まっていましたから、時々体育館がまるっと空いている時があります。その時を見計らって舞台を使って練習したり、体育館全体を使って照明を当てながら声出しをしたりなど、半分遊びのような稽古をしていて、新しい部員もあわせちゃんとした芝居ができる程度の人数まで増えた演劇部をみて、ここにならいてもいいのかなと思いました。
体育館が使えないときは、ピロティと呼ばれる校舎内のロビーを使って練習をしたり、教室やベランダ、体育館棟との間の渡り廊下、屋上など、さまざまな場所を舞台や芝居小屋にみたて、オリジナル脚本を演じるところまで成長しました。
芝居を通して私は、人生を見つめなおすことになります。
生きているといろいろなことがある、いろんな人がいて、いろんな人生がある、辛いこともあるけれど、人生は芝居のように唐突に終わることはなく、ラストシーンもなく延々と続いていくものだ、そんなことを感じました。
また、一つのセリフについても、感情が違えばいろいろな言い方になるということも知りました。私たちの感情は一つではない、状況に応じてさまざまに変わってくるものだということに気づいたのです。
それまでどん底のように感じていた私の人生に光が差し、ワクワクする気持ちが湧いてきました。芝居をすることや、芝居のために脚本を読み込み部員同士で議論すること、図書館の戯曲コーナーにある戯曲を読み漁ること、芝居小屋やテント小屋に足しげく通い、河原乞食たちのエネルギーをじかに感じること、自分の内面と向き合い思考すること、それらが無上の楽しみとなっていきました。
まさに、演劇部に戻り、芝居を通して、私は命を救われた思いだったのです。
高校3年のはじめ、受験のために引退するまで、一部の演劇部員と立ち上げた劇団の活動と並行し、演劇部の活動は続きました。
その時であった仲間とは、今でも交流が続いています。
友人をあまり作らない私にしては、これほど長く続く友人関係は本当にめずらしく、感謝の想いです。
そのころは、自分が救われた命をかけるものは芝居しかないという気持ちでしたが、受験をきっかけにその道が閉ざされそうになるという経験をします。
次回、「芝居との別れ -人生の棚おろし⓹」では、ふいに直面することとなった芝居との別れについて書いています。
お読みくださりありがとうございました(^_^)
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