前回の記事、バンド活動が楽しかった短大時代では、医療系短大で看護を学ぶ傍ら、部活のバンド活動に入れ込んでいたという話を書きました。いやむしろ逆に、バンド活動の傍ら看護を学んでいたと言った方がいいような具合した。
実習は苦痛でしたが、学びや患者さんとの出会い、仲間との団結などもあり、今ではいい思い出になっています。
ある時、当時実習教員を務めてくださったある先生から、実習中に尋ねられたことがありました。
「栢森さんは就職決まったの?」
その頃はすでに夏休みも終わった秋口で、多くの同期たちがすでに夏休み中に就職活動を終えているか、就職試験を控えているような状況で、進路が明確になっていました。あまり覚えていないのですが、進路指導の先生もいなかったように思うので、どうやって同期のみんなが就職活動をしていたのか、今でも疑問です。もしかしたら私がそういうガイダンスを聴いていなかっただけかも知れませんが(何しろ不真面目な学生だったので)、夏を過ぎてものほほんと過ごしていたように思います。
実習教員の先生は、私が何もしていないことに驚き、「栢森さんは〇〇病院が合ってると思うわよ。部活動も盛んだし先輩たちもたくさん行ってるし」と、ある県立の病院をすすめてくれました。就職先が決まっていないことがそんなにまずいことなのかと思うような先生の驚きようだったこと、実際にその病院に実習に行っている最中であったことなどもあり、私は勧められるままに県立病院の二次試験を受けることにしました。試験は12月で、一次試験はとっくに終わっている時期で、欠員を埋めるための募集だったように思うので、よく合格したなと今になって思います。
そんな風に人に流されながら就職が決まったのですが、看護師国家試験は当時は3月の中旬ごろに行われていたため、入職後に国試の結果がわかるという状況でした。今は2月に国試を行い、3月末には発表になるというシステムに変更されていますが、当時は4月1日の時点ではまだ無資格の状態で入職するという不思議な状態でした。
国試のための勉強は過去問の分厚い問題集を1冊勉強したのみ。3年制の短大なので、3年生のカリキュラムである病院実習をフルに行いながら国試の勉強もするなんていう芸当は、私にはとてもできませんでした。同期のみんなが勉強をしているという話を聞くにつけ、焦りだけが出てきましたが、直前の1ヶ月くらいで何とか問題集を解いていたのを覚えています。
短大の卒業式を袴姿で終えて、楽しかった部活からも引退して、いよいよ本格的に看護の道に入ることになったわけですが、4月に入職し配属された病棟がとても厳しいところだったため、最初は生きた心地がしませんでした。
今では考えられないことですが、国試の結果がわからないうちに、資格を持たずに看護師の仕事をするわけですから、それは本当にもう色々と大変でした。
あまりにも仕事が厳しく辛いので、国試に落ちればいいなんて考えたりして。
4月20日過ぎに国試の結果発表があり、私たち一年目はほぼ全員職場にいたのですが、看護部長から全員合格したという知らせを受けた時、先輩方はみな「おめでとう!」と言ってくれました。知らせを聞いた私たち一年目は、複雑な気持ちで「ありがとうございます」と答えていたのを思い出します。一年目の新人看護師たちは業務が辛いことや、ほとんどが寮に入っていたので生活環境ががらりと変化したことなどにストレスを感じていたこともあり、国試に落ちれば辞められるのではないかと思っていたものですから、合格があまり嬉しくなったのです。
私の場合、どうしてもなりたくて看護師になったわけではなかったので、なおさらでした。バンド活動に入れ込んでいたため、演じることからは離れていましたが、相変わらず観劇に行くことはやめておらず、芝居との接点は持ち続けていたわけです。ただ、入職後はとても演じる場を探す余裕もなく、芝居には稽古があるため、不規則な勤務ではとても劇団に所属することなどできるはずもなく、そのまま遠ざかってしまっていたのです。
結局、看護師の資格を保険のように考えて、芝居は資格を取ってからやればいいなどと思っていたこと自体、芝居にコミットする本気度が薄かったのだろうと思います。母が薦める通り看護師になって、実家を出て自立して、それなりの給料をもらい、できないながらも少しずつ看護師として成長して、同じ病院で働く仲間と楽しく過ごすということに満足してしまっていたのだろうと思います。
部活の盛んな病院に就職したので、院内のバスケ部に所属して週1回練習をしたり、たまに対外試合をしたり年1回は合宿に行ったり、高校時代に不完全燃焼で終わったバスケも楽しむことができましたし、院内の患者向けのイベントにボランティアの運営スタッフとしてかかわったり、スキーや山登りに連れて行ってもらったり、本当に楽しい日々を過ごしたのが、最初の就職先でした。
しかし、就職して3年目の半ばを過ぎた頃から、私の中で離職願望が目を覚ますことになります。
今回はここまで。次回、最初の病院を辞めて、海外逃亡することを決心した時のことを書いた「看護師人生、最初の一段落 -人生の棚おろし⓽-」へと続きます。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました(^_^)
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