前回の記事、「看護師人生、最初の一段落」では、卒後初めて就職した病院を退職した時のことを書きました。
今回は、退職する前後にあった、インパクトのあった出来事について書いていきます。
父親が非常に厳しく、機嫌が悪いと怒鳴ったり物に当たったりする人でしたので、子どもの頃から半ば怯えて暮らしてきました。
そのせいか、男性に対するスタンスが上手く取れなかった時期があります。
母に言わせるとファザコンの気があるということで、どういうことかと尋ねたら、いわゆる「お父さん」みたいな人に弱いという意味だそうです。
それを言われたのはだいぶ前ですが、その時はなんとなく納得したのを覚えています。
確かに、父親に甘えるということをせずに育ってしまったため、「優しいお父さん」像を求める傾向があったのかも知れません。
10代の頃は年上が好きでしたし(中学の頃は学校の先生とか)、外見が華やかな人よりも安心できる落ち着いた人に惹かれる傾向がありました。
優しくされると反応してしまうという傾向もありましたので、それは父性愛を感じることなく育ってきたために、優しさを感じると過剰に喜びを感じてしまうということだったのかと思います。
就職した病院は部活動が盛んなところで、いろいろな部活がありました。スキー&マウンテンの会というスキーと山登りをする会があり、そこで冬場は色々なスキー場をまわったのですが、退職も決まっていた冬の職場のスキー旅行で、ある職員に優しくしてもらったことがとても印象的でした。
その人は放射線技師で、見かけることはあるけれど名前を知らないという程度の職員でしたが、スキーが上手だったこと、気配りがよくあまりスキーが上手でなかった私に手を貸してくれたり、板を担いでくれたりして、とても優しかったことなどに惹かれ、同じグループで滑っていたこともあって仲良くなりました。
そのスキー旅行のあと、個人的にスキーに連れて行ってもらうなど、退職までにとても良くしてもらったものでした。
退寮するときに引っ越しの準備を何もしていなかった私を心配して、友人を呼んで引っ越しを手伝ってくれたこともありました。
私がロンドンに行くのを心配し淋しがってくれたりもしました。
私はその人のことがとても好きだったのですが、相手は既婚者でしたし、自分はすでにロンドンに行くことが決まっていたので、とても苦しかったのを覚えています。最後は空港まで見送りに来てくれて、後ろ髪を引かれながら搭乗口へと向かったのを覚えています。
安心感をくれる存在であったその人から受けた承認は、私の中で少し自信になったと同時に、自分と同じ場所に立つ人ではなく、少し前を歩く人に強く惹かれるのだということに、あらためて気づくきっかけにもなりました。
ただ、それから先も自分の男性を見る目のなさに苦しくことになります。
男運が悪いのだと思ってきましたが、単に自分の見る目がないのだと気づいたのは、ここ10年くらいの話です。以前は出会いのなさや男運のなさに原因があると思っていたので、完全に他罰の感情というか、被害者マインドになっていたんですね。
今は見る目がない自分に原因があるとわかっているので、現実世界で人を好きになることはなくなりました(^^;
それも良し悪しですが、今は心穏やかに過ごすことができています。
今回はこれでおしまい。
次回、「渡英の頃(1)-人生の棚おろし⑾-」では、いよいよ、渡英してからのことを書いていく予定です。
最後までお読みくださり、ありがとうございました(^_^)
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