前回の投稿、「ファザコンであることを実感した出会い」では、渡英前に出会った人がとても優しくて、別れるのが辛かったという話をしました。
今回は、ロンドンへ行ってからの話です。
大好きだった人との別れが辛く、ロンドンへ向かう飛行機の中でも自然と涙が出てきてしまうような有り様でしたが、トランジットを含めて16時間ほどのフライトを経てロンドンに到着した時は、初めてのヨーロッパの空港の様子にワクワクしたものでした。
時差が東京と8時間(サマータイム時)あり、東京がすでに夜中のはずの時間でしたが、ロンドンは夜の7時すぎで、しかもまだ煌々と明るいことに大変驚きました。
渡英したのは6月初旬でしたが、夜10時近くまで明るいことに衝撃を受けたのを覚えています。
あるアイルランド人夫妻の家にホームステイをしながら語学学校に1カ月間通ったあと、ユダヤ人向けの施設に住み込みでボランティアをするというものでしたが、大学時代から憧れていたロンドンという街に自分がいるのだということに信じられない思いで、最初の頃は慣れない生活も楽しめたものでした。
語学学校に通っていた頃は文字通り学生気分で、イギリス人の彼氏もできました。そのおかげか私の語学力はかなり向上したように思います。
ですが、施設に住み込んで介護のボランティアをするようになってから、事情は一変します。
私が働くことになった施設は、日本人ボランティアの受け入れをすることに慣れておらず、いろいろなことがずさんだったため、トラブルがいくつか発生したのです。
仕事がオフの時、施設内に私がいるのにも関わらず、ボランティアの日本人が住み込みで働いていることを周知されていなかったスタッフが「そんな人はいない」と答えてしまい、私の友人たちが私がいなくなったと思い込み、捜索願を出す一歩手前までいった出来事は、当時付き合っていた彼氏も含め、こんなところにいるべきでないという意見となって私を動揺させました。
確かに、お世辞にも居心地がいいとは言えなかったし、そこで働くことにも快さを感じていなかった(今思うと、波動が合わなかったのでしょう)ので、施設を出たいという気持ちはやまやまでした。しかし、渡英のために100万円という金額を支払っていたことや、途中でこのプログラムを中断することができるのかということ、このままだったら住む場所は少なからず保証されるけれど、お金もあまりない中で施設を出てやっていけるのか、などということを考えると、踏ん切りがつかないこともありました。最終的には2カ月働いた時点で、その施設を出ることになったのですが、ボランティア事務所にかけあって交渉したり、彼氏に手伝ってもらって住むところを探したりと、異国の地に初めて住むことになったにしては、よく頑張った頃かなと思います。
その時に支えてくれたのはやはり彼氏でしたので、いろいろと感謝していました。バイト代を稼ぐために日本食レストランや日本人向けのクリニックで働いたりなど、そういった場面で出会った人々との縁も私を変えたもののうちの一つでした。
途中、彼氏がスペインのバルセロナに半年間行くことになったためついていった期間などを含め、最初の渡英では結局予定の1年間を超過し、約2年間滞在することとなりました。
途中、諸事情で一度帰国し、半年の間元いた病院で育児代替として勤務してお金を貯めてから、再び英国に戻るということをしていましたので、合計で3年ほどは海外で過ごしたことになります。
そこで経験した様々なことが、今の私にとってはとてもよい経験になっていると思いますし、人生の中で転機になった出来事だったと感じています。
今回はここでおしまい。
次回、「渡英の頃⓶-人生の棚おろし(12)」は、ロンドン滞在中の楽しかった思い出についてです。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました(^_^)
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