わたしのヒストリー

帰国して受けた逆カルチャーショック -人生の棚おろし⑬-

 前回、「渡英の頃⓶-人生の棚おろし⑿-」では、ロンドン・バルセロナで過ごした頃のことを書きました。

 今回は、帰国してから半年くらいの間に起きたことについて書いていきます。

 さて、いろいろなタイミングが合って本格的に日本に帰ってくることになりましたが、ヨーロッパで過ごす間に自分の中の習慣や考え方が変わっていたので、日本の文化に対して驚いたり嫌だなと思ったりすることが、結構ありました。

 たとえば、人との距離感について。

 ヨーロッパでは、道や電車の中などで、肩がすれ合うほどの接触があっても、「すみません」と謝ります。しかも愛想よく。

 そのくせ挨拶のハグやキスは日常的でした。

 しかし、日本は逆です。見知らぬ人とぶつかっても謝らない人が多いですよね。特に満員電車などで慣れているためなのか、そういった場面で接触してもみんな平気な顔をして、ぶつかったのは自分のせいじゃないというような顔をしている。

 一方であいさつは握手すらする人はごく一握りです。

 その距離感の取り方に、とっても戸惑いました。

 買い物をするとき、店員さんが「ありがとうございます」と言ったら、ヨーロッパではお客さんも「ありがとう」と言います。

 でも、日本では何も言わないどころか、「ありがとう」と言ってくれている店員さんに対して、無視に近い行動をします。

 店員さんの顔も見ずにその場から立ち去る人のなんと多いことか。

 ぶつかっても謝らず、ありがとうも言えない。そんな日本人が少し嫌だなと思ったこともありました。

 あと、人を助けるということの少なさにもショックを受けました。

 ヨーロッパでは、電車やバスで席を譲るのは、ごく当たり前のことです。

 お年寄りが乗ってきたら、みんな自然に席を立ち、譲ります。

 駅の構内で重い荷物を持って苦労して運んでいる人、電車から赤ちゃんの乗ったバギーを押して降りようとしている人、そういった人を見かけたら、その辺にいる人たちの手がすーーっと伸びてきて、荷物を持ったり、バギーを持ち上げたりしてくれます。

 まったく違和感なく、そういうことができる雰囲気なのです。

 でも日本は違います。席を譲るのはとても勇気がいることだったりします。

 重い荷物を持ち運んでいる人や、赤ちゃんバギーを押して歩くお母さんは、全部自分でやらなければなりません。それが当たり前と思っています。

 「おもてなしの心」を持つはずの日本人なのに、何かがおかしい。

 そういうカルチャーショックというか、文化について考えることになったのです。

 海外に住むという経験をしていなかったら、そういった違いについても気づくことがなかったでしょうし、そういった意味でも海外で過ごした約3年間というのは、自分の中でかけがえのない経験であったということができます。

 そういった、日本人の「?」な部分に気づくと同時に、いいところにもたくさん気づきました。

 日本の銀行は、今ではほぼ24時間365日お金がおろせます。

 でも、当時のヨーロッパの銀行は、休日夜間はお金が下せなくなってしまうのです。

 夜遊びに出かける約束をしていて、いざお金をおろそうと思ったら、キャッシュディスペンサーがクローズしていて下せない!という経験を、最初の頃は何度かしました。

 また、ロンドンではパブが23時に閉店しなければならないという法律があったので、飲みに行っても不完全燃焼で帰ってこなければならなかったということもありました。

 日本では当たり前のサービスが、海外では当たり前でないのだというありがたさを感じるきっかけにもなったのです。

 とりわけ、食品でも機械ものでもなんでも、日本の製品のすばらしさはやはり、世界でも群を抜いていると思います。

 ロンドンにいる時に買った英国製の目覚まし時計が、3年くらいしか使ってないのに帰国してからある朝突然壊れ、鳴らなくなっていて遅刻するということがあって、改めて実感することとなりました。

 食べ物はみんな美味しいし、なんでもしっかりできていて故障が少ない。そういったことをもっとありがたいと思わなければいけないなと感じる出来事でもありました。

 帰国してしばらくは職探しをしながらぶらぶらしていて、母の店を手伝ったり(私がいない間に小料理屋をオープンしていた!!)しながら、そのうち見つかった近所のクリニックの開業から関わることとなったのです。

 クリニックでの勤務経験がなかった私にとって、いろいろなことが新鮮でしたし、開業から関わることができるというワクワクもあり、きれいな院内をどのように使っていくかなど、すべて自分たちで考え、作り上げるという仕事はとても楽しかったです。

 ただ、やはり外来のみで臨床がないという状況と、開業したてで軌道に乗っていないため、職員全員がパート雇用であり給与面が低く抑えられていたことなどから、半年ほど経った時点でクリニックを退職し、新たな職探しをすることとなります。

 今回はここまで。

 次回、「横浜市の病院に就職したころのこと -人生の棚おろし⒁」は、横浜市にある病院に就職を決め、働き始めたころの話です。

 今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました(^_^)

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