わたしのヒストリー

女手一つで家を建てる -人生の棚おろし㉗-

 前回、「娘を託児所に預けて -人生の棚おろし㉖-」では、復職した先で女手一つで子供を育てながら、院内託児所にたくさんお世話になり成長を見守ってきたということを書きました。

 今回は、今住んでいる家に引っ越してくることとなった経緯について書いていきます。

 娘と二人で暮らしていたのは、八王子市にあるマンションでした。

 八王子といってもとても広くて、私が住んでいたのは京王線の多摩センター駅と多摩モノレールの中央大学・明星大学駅の間あたりで、府中市寄りのあたりでした。

 とても静かでのどかな場所だったので、最初は人が少なすぎて少し寂しいとか怖いような気もしましたが、やがてその環境に慣れ、実家の下町のゴミゴミした感じがもともとあまり好きでなかった私は、次第に気持ちが晴れやかになっていったのを覚えています。

 もちろん、娘と二人だけで再出発するわけですから、いろいろな不安はありました。

 平日は仕事と生活で精一杯でしたが、休みの日は自転車で多摩センターまで行き、街をぶらついて娘と過ごしたり、ピューロランドに行ったりしました。私は多摩センターがとても好きで、ここに行くと元気を取り戻すことができました。娘が走り回っても安全な遊歩道があり、駅裏には多摩中央公園もあって、5月にはこどもまつり、11月にはハロウィンパレードが開催されるなど、娘も楽しむことのできる環境でした。

 できればずっと多摩センターに住みたいと考えていたため、近辺でマンションを買うことを検討していた頃、高校時代の同級生の言葉を思い出すこととなります。

 以前の投稿にも出てきた高校時代の芝居仲間の一人が、一級建築士になっていたのです。彼は常々住むなら注文建築がいいと言い続けていました。

 同じお金を使うならどっちがいいのか。私のようなシングルマザーに利点が多いのはどちらなのかと考えて、一度はマンションの方がセキュリティはいいし、自分でメンテナンスする必要もなく楽だろうと考えました。多摩センターに新しく建つマンションのチラシを手にするにつけ、心が動いたものです。

 しかし私には、立地やマンションと戸建ての比較だけでなく、一つ気になっていたことがあったのです。それは、地元で商売を続ける母のことです。

 当時母は私の下の弟と二人で暮らしていましたが、歳を取っていくのを見ていると心配に思うことがありました。

 また、娘と二人だけで仕事をしながら生活していると、時に大きな困難に直面することがあり、私一人では気持ちが持たないと思ったこともありました。娘にとって、家に私しか大人がいない状況というのはどうなのか、私に叱られたり私に余裕がない時に、娘が逃げ込める場所がないというのはどうなのかと、真剣に悩み始めたのがこの頃でした。多摩センターに住みたい。でも母も心配だし、娘のために家に私以外の大人にいて欲しい。だとしたら母と一緒に住むのが一番いいけれど、母は地元で店をやっている。となると、おのずと住むところは決まってきます。私が多摩センターを離れることを決め、地元に帰ればいいだけの話です。

 住環境や子育て環境として気に入っていた多摩センターを離れるのは残念でしたが、今後のことを考えると致し方ないと諦めて、地元に越すからにはマンションだけでなく、戸建ての選択肢も考えなければと思い至ります。

 それが、先ほどお話しした一級建築士の友人の存在です。

 私が家を建てる時は、必ず彼にお願いする。

 そんな約束をしていました。

 下町の小さな土地を買って、そこに家を建てるというのは、今までのこととはまた違ったワクワクがあるものでした。

 結果、これはまさに宇宙の導きというしかないというほどに、母の店からごく近くによい土地が見つかり、そこに家を建てることになりました。

 自分で発注して、デザインを要望して、友人がそれに応えてくれる。そんな経験は初めてでしたし、家が出来上がる過程にとてもワクワクしたものです。

 ただその頃はまだ八王子に住んでいて、娘が二年保育の初年度になるのに合わせ実家に戻り職場まで通っていたので、建築中の家のことはほとんど母に任せっきりでしたが。

 予算が少ないので色々と断念したこともありましたし、建築士の友人に苦労もかけてしまいましたが、無事に家が建ち、その年の7月に八王子の家を完全に引き払い、越してくることとなります。

 八王子の家の荷造りや引っ越しの手配はすべて一人でやったので、休みを使いながら本当に大変でしたし、終わらないのではないかと思いましたが、最後に空になった部屋を見た時は、娘とわかめと3人で過ごしたいろいろな思い出がよみがえってきて、本当に淋しかったのを覚えています。

 こうして、新しい家に、娘と母と私、そしてわかめとで、新しい生活を始めることになったのです。

 40代で住宅ローンを組んだので、支払いは70代半ばにならないと完了しないという過酷なものですが、住むところは死ぬまで必要なので、家賃を払うようなつもりで気長に返していこうと考えています。

 そのためには、とにかく元気で健康で働き続けなければ、ですね(笑)

 さて、今回はここまでです。

 次回、「教育師長としての転職 -人生の棚おろし㉘-」では、引っ越し先の近くに新しい職場を見つけ、転職したころについて書いています。

 最後までお読みくださり、ありがとうございました(^^)

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