SNSの発達とともに、以前は問題にならなかったことがニュースで取り上げられるようになったり、一般人の想像を遥かに超えるような出来事が起きたりするようになりました。
匿名の個人の集団が特定の誰かを集団攻撃する「炎上」や、ネガティブコメントだけを取り上げ中止に追い込まれる事業や活動の数々、行き過ぎた動画投稿などを見ていると、本当に人は両極端な二種類にはっきりと別れつつあるということを実感します。
好きか嫌いか、いいか悪いか、面白いか面白くないか、やるかやらないか、友達か友達でないか、そして、自分かそれ以外か。
核家族化や単身化が進み、コミュニティがその機能を失い始めた頃から見られ始めたこの二極化が、SNSの台頭と発達によって急激に加速しているのがわかります。
今いる職場を見ていても、若い人たちの間では特にこの傾向が強くなっているのを実感します。
患者さんという弱者を癒やす仕事をしているはずの医療者であるにもかかわらず、患者さんに対して気を使うことができないスタッフがいるかと思うと、一方ではとても丁寧に患者さんに接し、驚くべきスキルでコミュニケーションを成立させる素晴らしいスタッフもたくさんいるのです。
前者にはどんなに言葉を尽くし、繰り返し接遇の大切さや悪い噂の影響力などについて説明したとしても、なかなかほんとうの意味で理解して、行動を変えてもらうことはできません。
表面的には良くなったとしても、私が見ていないところではまた同じことを繰り返し、同じようなクレームを患者さんやご家族からいただくことになってしまうのです。
職場における管理者としての立場からいうと、このことは病院組織にとって由々しき事態だと捉えることができますが、最近の私はそのこと以上に、とても気になっていることが一つあります。
それは、その人達が本当は傷ついていて、自分を守るためにその方向に行ってしまっていることに、気づいていないということです。
私はスピリチュアルを勉強し始めるまではずっと、自分のミッションを盲信するばかりに、周囲のことがよく見えていませんでした。
正しいことをすることが正しいことだと信じていた私は、正しいことのためには人を傷つけることも致し方ないと思っていたのです。
だって正しくない事をしている人が悪いんだから仕方ない、悪い人は傷つきでもしなければ自分の悪さを認識しない、はっきり言ってやらないと気づくことなどできないと、そう考えていました。
本当は正論で相手を傷つけてしまうことによって、相手が変わらないばかりでなく、逆に殻に閉じこもって逆ギレや逆恨みという形で自分を攻撃してくるのに拍車をかけるだけだということに、気づいていませんでした。
傷ついた人は、自分を守ることに必死になります。そのために他者を傷つけることを厭いません。
だってその人にとってそれは、正当防衛なわけなのですから。
私はこれまでたくさんの人達に嫌われてきたという自覚がありますが、その理由のうちの一つがこの原理を知らなかったからだということを、今ではよく理解できます。
私自身が傷ついていたために、さらに自分の正当性を証明しようと他者を傷つけ、さらに敵を増やしていたとでもいいましょうか。
炎上と言われるSNSで個人を攻撃する意識もこれと同じです。匿名という殻の中に閉じこもり、自分は守られた状態にありながら、名前や顔をさらけ出して無防備な状態の誰かをこれでもかと攻撃するようなことは、自分の正当性を自分自身で認め、納得し、自分を慰めたいがために行うこと以外の何物でもありません。
自分が一番かわいい、自分が一番正しい、自分以外はどうなってもいい、自分が良ければそれでいい。
自分と他人、自分だと認識するものとそれ以外の境界線を、SNSなどを通してより深く、濃く描き続けます。
それがただの境界線でなく、深く大きな溝になるまで何度でも何度でも、無意識に描き続けるわけです。
全ては自分自身を守るために、深く大きな溝を作り上げ、自分以外の誰かに入ってこられることがないようにしているのです。
おそらく今後ますます、この傾向は強くなっていくことと思います。
全てにおいて二極化が進み、自他の区別が明確になり、自分以外を切り捨てる世の中になっていくことでしょう。
地球温暖化によって沈みゆく国がある一方で、自国の利益のために排気ガスを大量に出し続ける国もあります。再生可能エネルギーの普及を目指す人々がいる一方で、石油が生む莫大な利益のために新エネルギーの普及を妨げようとする人たちもいるのです。
そんな世界にあって、私達のできることなどないように思えるかも知れませんが、そんなことはありません。
私達にできること、それは一人ひとりが「利他のこころ」を持つことです。
自分と他人との間には本来、境界線などないはずです。私達はみな同じ魂を持つ生き物で、大元は一つだからです。
誰かのために何かをした時に、その誰かが喜ぶのを目にして、自分も嬉しくなった経験はありませんか?
利他を実践すると、自分にもその結果が返ってくるという良い例です。
利他のこころは、自分をも幸せにします。
それは自己犠牲とは全くの対極に位置するものです。
自己犠牲は、自分をないがしろにして人に何かを持たせるということですから、最初は良くても徐々に自分自身が疲弊していってしまいます。
そしてやがては、「こんなに頑張っているのに、こんなに尽くしているのに」という、犠牲者マインドに支配されることになるのです。
カンタンに言ってしまえば、自己犠牲が自分向きの矢印が発生している状態である一方で、利他のこころはそれが他者に向いているという感じでしょうか。
自分を守るためや自分の利益のために何かをするという感覚は、矢印が自分の方を向いている状態です。
でも、純粋な気持ちで誰かのためにこころのちからを使うことは、矢印が他者の方を向いている状態だといえます。
例えば電車の中で、席を譲りたい場面に直面したとします。日本人は滅多に席を譲ることをしませんが、それは冷たいからというよりも、自分が周囲にどう思われるかを考えているからです。
席を譲るのに勇気が必要だと言っていた人がいましたが、良いことをするのに人目を気にする必要などないはずです。
なのに日本人はどうしても目立つことを嫌い、人目を気にして行動を抑制する傾向があります。
それはまさに、矢印が自分の方を向いている状態です。
電車の中で苦労して立っている人の立場に立って考えてみる、つまり外向きの矢印で行動すれば、そんな些細なことなど気になるわけがないのです。
自分がどう思われるかや、目先の損得などは考えず、ただ自分のしたいことをする。そしてそれが誰かに対する貢献になって、やがて自分に返ってくる。
それが利他のこころの真髄であり、自分と他者との境界がなくなるということなのではないかと、私は思います。
自分とそれ以外という二極化が進むと、どんどんこころが貧しくなるように思えて、私はとても心配です。
自他の区別のないワンネスの状態は、こころを豊かにし、幸せな気持ちを連れてきてくれます。
周囲のいろいろなことが愛おしく、大切に思えるから不思議です。
でもきっとこれが、本来生き物が持つ特性なのだとも感じます。
一度味わってしまったら、もう後戻りはできません。
みんなで地球を幸せにしたい。
その感覚を忘れている人たちにも思い出して欲しい。
そのために今、自分ができることを、精一杯やりきろうと思います。
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