わたしのヒストリー

看護師として飛躍したころのこと —人生の棚おろし⑮—

 前回、「横浜市の病院に就職したころのこと —人生の棚おろし⒁」では、ヨーロッパから帰国してしばらく経った頃、勤めていたクリニックを辞めて民間病院に就職した時のことを書きました。

 今回は、結婚をきっかけに埼玉県に転居した頃のことについて書いていきます。

 趣味を通じて知り合った相手と結婚し、その人の地元である埼玉県新座市に引っ越したのですが、しばらくは専業主婦を楽しもうと思い、就職はあまり真剣に考えていませんでした。

 しかし、知っている人の誰もいない場所に引っ越したこともあり、最初の頃は楽しく感じていた専業主婦も、そのうち退屈に感じるように。

 日中の時間を持て余してしまい、ホームページを作ってみたりしていましたが、インターネットを使用するのには料金的な制約があり、ほとんどテレビと向き合うだけの生活になっていました。 今と違い、パケットという概念はありませんでしたから、夜23時以降のテレホーダイの時間にならないうちに、インターネットに繋ぐことがためらわれたのです。実際、日中にやりたいだけネットをしていたら、その月の請求が10万を超えてしまったこともありましたから、本当に慎重になっていましたね。そのころはまだ30代入り口でしたので、人間的にも未熟で、自分の強みも理解していなかったので、仕事以外には本当に何もできることがないと感じていたのを覚えています。今になって思うと、その頃持て余していた時間を今の私にちょうだい!と言いたい気分です。

 2カ月ほど専業主婦を続けた段階で完全に飽きがきてしまったことと、旦那の稼ぎが良くなかったため家計にも影響が出ることを考えて、再就職を考えるようになりました。

 一応主婦であることに変わりはなかったので、通勤に時間がかからない通いやすい立地の病院を探していたところ、ちょうどいい距離にちょうどいい規模と診療科目の一般病院を見つけ、面接に行ってみることに。

 最寄りの駅からは離れていたのですが、家からだと自転車で10分程度の距離だったため、通うには最適のロケーションでした。病院は決して大きくはなかったけれど、病床数も120床ほどでICU・CCUを併設、救急車を受けており心臓カテーテル検査や治療、心臓血管系の手術もしているという規模感が気に入って、就職を決めました。

 私はもともと、複数の病院を見てじっくり考えて決めるタイプではなく、1か所見てみて、悪くなければ決めてしまうというタイプでした。なのでこの時も全く一緒で、配属先がどうなるかはわからないとのことでしたが、急性期がやりたかった若い頃の私にとってはいい場所でした。果たして、循環器・脳外・心外の病棟にICU・CCUを加えた急性期のユニットに配属されることとなり、希望が通りやる気がわいてきたことを覚えています。

 そして私はその病院で、民間病院の急性期のドタバタを目撃し、修羅場を経験し、一人前の急性期ナースになっていったのです。

 その病院のICUには、とてもICUに収容する適応ではないような患者も入院していました。
 急性薬物中毒でも透析が必要な方は仕方ないとして、ただ意識レベルが低く点滴でウォッシュアウトするだけの患者も入ってきましたし、急性アルコール中毒の患者もいました。暴れて暴力を受けたことも数えきれないくらいあります。ですが一方で、開心術後の患者や急性心筋梗塞治療後の患者などの重症者も看なければいけないわけですから、なかなかヘビーな場所でした。 

 16時間の夜勤中に全く休憩が取れず、座れず、食べられず、飲めずだったこともありました。

当時はナースキャップが医療現場から消える過渡期にあったのですが、あまりの忙しさにナースキャップが吹っ飛んだことも一度や二度ではありません。

 患者が離院してしまい、すぐそばの踏切で飛び込み死体となって発見されたこともありました。

 糖尿病で透析していた患者の、肝臓の術後創が上手く治癒せず、だんだん膿が溜まっていき、ドレナージしていたところの脇から大量の動脈出血が起きてしまい、ベッドから血の滝が流れ出る場面に遭遇したこともありました。

 派遣看護師に頼らざるを得ない職員事情だったため、スポットの夜勤看護師に勤務をドタキャンされ、丸一日26時間以上ぶっ通して勤務したこともありました(完全なる労基法違反・笑)。そんな環境でも、良き仲間がいたので乗り越えられましたし、いい意味での強さを身につけることができたのも、その病院で勤務していたおかげだと思っています。

 そして私は、そこで勤務している間に主任に昇格し、部内の教育に力を入れるようになっていきます。

 マニュアルなどの文書や院内報を作成し始めたのもこの頃でした。

 主任に登用され役割が増えたことに、やりがいを見出すようになっていったきっかけとなった約5年半。

 看護師としても、看護管理者の道に入りかけていた者としても、たくさんのことを学び、力をつけていった頃だったということができます。

 さて、今回はここまで。

 次回、「妊娠初期の頃 -人生の棚おろし⑯-」では、念願の子供を授かった頃のことについて書いていきます。

 最後までお読みくださり、ありがとうございました(^_^)

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