わたしのヒストリー

復職のころ -人生の棚おろし㉓-

 前回、「娘が歩き出すまで -人生の棚おろし㉒-」では、娘が生まれてから1歳くらいまでに起きたこと、感じたことについて書きました。

 今回は復職した時のことについて書いていきます。

 実は、私の子育ては、簡単なものではありませんでした。

 娘が生まれて1ヶ月も経たない頃、夫と離婚したのです。

 理由は、簡単に言ってしまえば、夫の裏切りでした。

 私は5年ほどものあいだ、夫の嘘を見抜くことができずにいたのです。

 産後すぐのことで、これからどうやって生きて行けばいいのかと途方に暮れ、娘を抱いて実家のマンション8階のベランダから飛び降りてしまおうかと考えたことも、一度や二度ではありませんでした。

 大変な状況でしたが、そんな中でも支えてくれた家族のために、生まれたばかりの小さな娘のこれからのために、私は何としてでも生きていかなければならないのだと、徐々に気持ちを落ち着かせていきます。

 離婚にあたり、慰謝料や養育費について争うことになったので、慣れない子育てをしながら職もない中、ただ生きていくだけでお金がかかるのに、弁護士費用を捻出しなければならなくなってしまい、本当にあの頃は人生どん底だったと思います。

 いろいろと辛い思いをしましたが、娘の成長を励みに、生きる活力を少しずつ取り戻していったのです。

 この時、高校生のころ母に言われた、「看護師になって手に職をつけておけば、将来何かあっても安心」という言葉が身に染みたのを覚えています。あの時、母の言う通り看護の道に進んでいなかったら、たぶん別の人生が待っていたはずなので、同じ思いをすることになっていたかどうかはわかりません。でも、少なくともその時は、いざとなったら仕事をすればいいという考えがどこかにあったので、いくらか気持ちが前向きになるのが早かったように思います。

 1歳までは自分の手で育てた方がいいという、子育ての大先輩である母の意見を聞き、裕福ではない実家に1年間居候させてもらいながら、娘の成長の一部始終を見ることができたことは、今では良かったと思っています。

 自分の人生にこんな出来事が起きるとは思っていなかったし、本当にいろいろと考えてしまい辛かった時期でした。ただ、すべてのことは糧になるというのが私の持論です。人生に無駄になる経験などありません。いいことも悪いこともすべて糧にして、前に進んでいけば、その先にこの経験が生きてくることがあるのではないかと思うし、私という人間を形作る上で、すべてが役に立つと思うのです。

 そんな大変な一年を経て、いよいよ復職を決意した私は、以前一緒に働いていた上司から託児所のある病院を勧められていたため、そこに連絡を取ってみることにしました。

 都内にある二次救急の病院で、地元ではそこそこ知られている医療法人だったのですが、看護部長と副看護部長が男性という珍しいところでした。男性二人に面接されるという経験はなかなかなく、新鮮だったことを覚えています。

 就職した場合に任される仕事の内容を聞いた時、少し自分にはチャレンジングな内容だと感じましたが、当時私も30代後半に差し掛かっていましたし、これからは自分が後進たちの働く「場」を作る番なのだと考え、師長としての役割を引き受けることとなります。

 私の看護管理者としての人生の始まりです。

 実家から2時間近くかかる場所に病院があったので、通うことは不可能でした。娘とわかめを連れて、産後初めて実家から離れ、二人と一匹の暮らしを始めることとなります。

 もちろん不安もありましたし、母には淋しいと泣かれたりもしました。
 それでも、今考えればそれが人生の青写真の一部だったのでしょう。住むところも最適な物件が見つかって、引っ越しも滞りなく済み、いよいよ新生活を始めることとなりました。

 今まで母にサポートしてもらっていた娘の世話を、全部ひとりでやりながら仕事もするということに不安はありましたが、同時にワクワクも感じていました。

 どこへ行くにも娘と一緒。出勤するのに電動自転車の前のシートに娘を乗せて、片道30分近くある道程を毎朝早い時間に走って病院まで行きました。院内の託児所に娘を預け仕事をし、夕方お迎えに行ってまた娘を乗せて帰ります。買い物をするのも娘と一緒。その間わかめは一人お留守番です。

 家に帰ってくるとすぐに、布おむつを洗うために洗濯機を回します。娘を遊ばせながら夕食の支度をし、洗濯物を干し、娘に食べさせ自分も食べてからお風呂に入り、寝かしつけながら自分も寝てしまうという精一杯の生活でした。

 今思うと、よくやっていたなと思います。でも当時は、それが生活でしたしあたりまえのことでした。

 娘が一人遊びが好きな子だったので、私としてはとても助かったのを覚えています。

 やっぱり、この子は私のところに来ることになっていたのだと感じ、感謝の気持ちが湧いてきたこともしょっちゅうです。

 私が一人になってしまわないように、私のところにやってきてくれた娘。

 私の負担が少しでも軽くなるように、一人で遊ぶことが好きな子に生まれてきてくれた娘。

 今思うと、すべてが最適な方向に行くように、青写真が描かれていたのだと感じます。
 宇宙の采配に感謝です。

 さて、今回はここまで。

 次回、「パワハラを乗り越えたこと -人生の棚おろし㉔-」では、新しい職場での仕事と、迎えた試練について書いています。

 最後までお読みくださり、ありがとうございました♪

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