わたしのヒストリー

トップマネジメントへの道が開かれた -人生の棚おろし㉚-

前回、「大学院と仕事の両立 -人生の棚おろし㉙-」では、意に沿わない異動と降格を経て、時間的にも金銭的にも体力的にも精神的にもきつい中で大学院修士課程を修了するまでのことを書きました。

 今回は、修士課程修了後に得た職についてのお話です。

 私が認定看護管理者のコースに通っていた頃に一緒だったある病院の看護部長が、そろそろ70歳を迎えるため退職を考えているという話を聞きました。

 その病院は都内の地域密着型の100床以下の小さなところで、二次救急を標榜していました。自宅からは電車の路線が相互乗り入れしているため、乗り換えも楽ですし1時間ちょっとで通えそうな距離にあったのです。

 私はその看護部長に連絡を取り、久しぶりにお会いすることとなりました。約10年ぶりに再会しましたが、もうすぐ70歳とは思えないパワフルさで、まだまだ仕事をしていくことができるのではないかと思いましたが、病院の規定もあって10月には退職の予定だとのことでした。4月から、ある病棟の看護師長のポストが空くので、よければそこから始めて、半年後に看護部長を引き継いでほしいというお話を頂いたので、ありがたく拝命することとなったのです。

 新しい職場でしたが、病院は築50年の古いところで、あちこちにガタがきていました。しかし、こじんまりとしていてスタッフの顔も見えやすく、動線が短いので働きやすい場所ではありました。当初は10月からということでしたが、予定より看護部長の退職が繰り上がったため、6月から看護部長を拝命することとなりました。初めてのポストでしたが、それまで培ったノウハウと、10年以上看護部長室付けの師長として医療安全や看護教育などに関わってきた過程がありましたので、あまり不安はありませんでした。

 看護部長になった最初の一年は、凝り固まっていた組織をほぐすため人事異動を行い、組織間の風通しを良くする試みを行いました。小さな組織で、看護単位としても4つしかなかったので、なかなか異動も思うように大胆にできない中で、業務が滞らないようにどうやって異動させるか、そんなパズルのようなことを考えるのは難しかったですが、結果的に組織の血の流れを変えることに成功しました。また、短期滞在手術を宿泊から日帰りに変更し、看護師の手間の軽減とベッドの有効活用につなげることもできました。トップマネジメントというのは、一人で考え決定し実行しなければなりませんので、なかなかに大変で、師長たちにも愚痴をこぼすことができず、きつい場面もありました。ですがそれ以上に方針を決めて実行していくのが楽しくもあり、充実した一年間を送ることができました。

 2年目は教育活動を予算化し、e―ラーニングを導入することに成功しました。教育の体系化を行い、新人看護師を獲得するための準備としてのシステム化を進め始めたのがこの時です。古く小さく、スタッフが自分の利益最優先で考える組織だったので、新しいスタッフを教育するというマインドに薄い組織風土を変えなければ新人看護師を獲得することはできない状況でしたが、逆に新人看護師を入れなければ組織風土も改善しないというのが私の考えでした。

 いつかは新人看護師を採用して、組織風土を大きく変えたい、そんな希望を持って目標をたて、一つ一つ確実に実現していったのです。

 しかし、2年目の秋口から急速に、それまでの追い風が逆風に変わることになります。

 それにはいくつかの理由がありましたが、ちょうど私の運気に翳りが差し始めたこともあるのだろうと思います。

 人生、いい時と悪い時があります。いい時は何をやっても上手くいく時ですが、悪い時は良かれと思ってやったことがすべて裏目に出て、人に恨まれるようなことまで起きてしまうものです。

 その年の後半は面白いようにやることなすこと上手くいかなくなりました。それまで信頼関係を築いてきた病院幹部の私に対する態度が一変し、私がどんなに計画の内容や今後の展望などを説明してもわかってもらえないということが続きました。それどころか、話も聞いてもらえないこともありました。

 私はもともと、HSP(Highly Sensitive Person )という気質を持っているため感覚が鋭く、他者が考えていることを敏感に察知してしまいます。雰囲気が少し変わっただけでも何かあったことを察知し、その人との接触が非常につらいタスクとなるのです。

 自分と同じか、あるいは上の立場の人に対してはあまり気にせず対応できるのですが、逆に部下に対しては非常に気を使っていました。自分が一般スタッフのころに感じていた疑問や辛さをなるべく感じることなく仕事をしてもらいたいという気持ちが強く、必要以上に気を使いすぎて疲れてしまうこともしばしばでした。病棟が忙しくスタッフが残業になると、私も帰ることができず今やらなくてもいい仕事をだらだらやりながら残っていたこともありました。通勤は実際には1時間半近くかかるようになっていたため、7時まで残業すると買い物して家に着くのが9時近くになってしまうという状況の中、心身がすり減っていくのを感じ始めていました。

 これは今後このblogでお話ししますが、自分がこんな風に人の反応を気にするようになった理由が最近分かってきました。でも当時はそんなことわかりませんし、いろいろな意味で逆風が強くなっていく間も、自分がこれに耐えて乗り越えれば自分の糧になると信じて、頑張ってしまっていたのです。

 そして、自分のこれまでのキャリア人生の中で、一番の大事件が起きることとなるのですが、それはまた次回「人生最大の逆風(1)-人生の棚おろし㉛-」でお話ししたいと思います。

 最後までお読みくださり、ありがとうございました(^^)

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