スピリチュアルなおはなし

応援と祈り その似て非なるもの

 私は子供のころから誰かを応援するのが好きでした。

 小学生の頃は運動会で頑張る友達を声が枯れるまで応援し、夏休みのテレビの前で高校球児を応援して、

中学生の頃は好きなプロ野球選手やバレーボールナショナルチームを、文字通りテレビにかじりつくようにして応援していました。

 高校生の頃は、一緒に芝居を作り上げる演劇部の仲間を応援していたし、大学生の頃は一緒にバンド活動をしていた仲間を応援していました。

 大人になってからは、職場でガンと戦う子どもたちを応援したり、テレビ局のスタッフという芸能素人が集まって結成したユニットが、武道館でコンサートをするまでの軌跡を熱烈に応援したりしました。

 そして今も、贔屓のプロ野球チームを応援することを、仕事ではないけれどライフワークのように思っています。

 子供が生まれてからは、子供の応援もライフワークの一つとなりました。

 昨日の記事「子供の伸びしろと親の役割」(リンク先参照)にも書きましたが、子供の成長に喜び、全面的に応援するのが親の役割だと感じています。

 それでふと、昨日の記事を書き終わってから疑問に思ったことがありました。

 誰かを応援している時、その人が自分の力を出し切れるように願う気持ちは、祈りの感情に近いような気がしたのです。
 つまり、応援することと祈りはイコールなのではないかという疑問です。

 例えば、娘が吹奏楽のコンクール出場のため家を出る時、肩を叩いたり背中を押したりして「頑張って!」と伝えます。つまり、娘を応援しているわけです。

 そしていざコンクールの会場で、娘の出番がやってきたときに、思わず手を合わせながら、どうか失敗せずに無事演奏を終えることができますようにと願う気持ちは、ある意味祈りに近いような気がするのです。

 贔屓のプロ野球チームの攻撃の時に、打席に立っている選手の応援歌を歌ったりエールを送るのは応援の気持ちですが、ここで打たなければ負けてしまうという場面の時に、「どうか打ってくれ」と願う気持ちはまさに祈りそのものです。

 応援することと祈ること。その二つはイコールなのか。

 皆さんはどう思われますか?

 私は最初、これはイコールだと思いました。誰かに頑張って欲しい、活躍して欲しい、いい結果を生んで欲しい、そう思うから応援するわけです。

 だから応援には「〇〇して欲しい」という願いが込められていると言えます。

 「〇〇して欲しい」という願いが高まると、祈りへと繋がります。

 「どうか神さま、誰々が〇〇できますように」となるわけです。

 だからこの、応援と祈りはイコールなのではないかと、そう考えたのです。

 でも、よくよく考えてみると、やっぱりちょっと違うことに気づきます。

 応援は、応援する対象に対する思いですが、祈りは何か別のもの、上の例でいうところの「神さま」が対象になっていますよね?

 「頑張って!」と声をかけるのは、頑張って欲しい本人に対してですが、「〇〇できますように」という祈りは、もはや本人以外の何か別のものに対する声かけになってしまっているのです。

 頑張って頑張って、努力している姿を見て、そばにいて応援したいから「頑張ってね」と声をかけ続ける。
 それは最初の段階です。

 そして、その人が頑張ったことをもう十分知った上で、あとは何かもっと大きな存在(神とか宇宙とか運とか流れとか)に委ねるしか方法がないと感じた時に、人は声をかける対象を変え、祈るのだということに気づいたのです。

 つまり、応援は最初のステップで、そこを突き抜けると祈りというステップに到達するということです。

 この二つは繋がってはいるけれど、声をかける対象が違うのでやっぱり別のものです。

 だって実際、応援のステップだけで終わることの方が断然多くないですか?

 応援して、応援し続けて、もはや対象と自分を同一視するところまでいかなければ、祈りにまで発展しなくないですか?

 応援したけど負けちゃったね。残念だったね。
 でも楽しかったね。

 そのレベルの応援は日常に満ち溢れているんです。

 だけど、願いや祈りという感情は、そのレベルを超えたところに存在するんです。

 お友達の誰々さんちのお子さん、甲子園行き決まったらしいよ。
 それはすごい!頑張って欲しいね!
 甲子園に行ったけど、初戦敗退しちゃったみたい。
 あらそう、残念だったね・・・

 これは応援のレベルです。

 ですが、甲子園出場を決めた誰々さんの家族にとっては、毎試合が応援であり祈りであるはずです。
 勝ち抜いてほしい。頑張って欲しい。
 怪我せずエラーせず、勝ち進んで欲しい。
 全力を出して、後悔のないように頑張って欲しい。
 ああどうか神さま、うちの子をお守りください。

 これは紛れもない、祈りの気持ちです。

 思えば縁もゆかりもない人に対して、私は子供のころからずっと、応援を越えた祈りを捧げてきたように感じます。

 それはたぶん、私がHSP(Highly Sensitive Person:非常に繊細で感じやすい人)であることも理由の一つではあるでしょう。

 誰かの思いを自分のことのように感じてしまう特徴があるからです。

 コンクール会場で、舞台上で演奏する娘に対して、

 たった一人のマウンド上で、プロ入り10年目にして初めて先発する投手に対して、

 どうか頑張って
 思いきり 自分の全部を出し切って
 悔いのないように

 そう祈ることができる幸せに感謝したい。

 応援しても結果が伴わずに辛い思いをすることもたくさんあるけれど。

 応援することで自分もハッピーを受け取ることがたくさんあるから。

 どっちもたくさん受け取ると、何もないよりも人生はきっと豊かになる。

 そう信じて、今日もいろんな人を応援したいと思います^^

 

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